恋するタイムパラドクス 03

 条件は満たした以上、後は脱出するだけだ。そして部屋を出たら全て元通り。ならばもうこれでいいかとベッドのあちこちに投げ捨てた衣服はそのままにシーツを体へと巻き付ける。
 ただがくがくする足が治るまでは歩けそうにない。ベッドの上に座り込んでふうと一息吐く。
 デュースは私から背を向けるようにしてベッドの淵へと腰掛けていた。ズボンを履いただけで彼の上半身は剥き出しまま。ほどよく付いた背筋には私が無意識のうちに残した爪痕がくっきり赤い線を描いていた。……痛そうだな。

「デュース、背中ごめんね。痛かったよね」

 先程いやというほど思い知らされたが、この夢には感覚があるのだ。だから思わず謝れば、びくりと彼の体が揺れる。
 ゆっくりこちらへとデュースが向き合う。ベッドの上へと乗り上げた彼の表情に私は固まってしまっていた。私の正面に座るデュースは唇を噛みしめ、ぼろぼろと大粒の涙を零していたからだ。

「なんなんだよ、お前」

 ぐちゃぐちゃに顔を濡らす姿にたまらず、彼の体を抱きしめる。我ながら唐突すぎるとか強引だと思う、けれどデュースは抵抗なく私の腕の中に収まった。
 涙を吸い込んだシーツが冷たくなっていく。どうしてこんなにも泣いているのか。初めて見る彼の弱々しい姿に胸が締め付けられる。

「ひどいことしたのは俺の方なのに、なんでお前が謝んだよ。なんで、優しくすんだよ……」
「好きな人に優しくするのは普通のことだよ」
「ッ、」

 気にしている彼には悪いが、そんなことかと私の内心は切り捨てる。
 そりゃあ、わりとめちゃくちゃにしてくれたなと思わなくもないけど、別に怒ってもなければ悲しんでもないのだ。正確には目の前の彼ではないのだが、デュースが暴走するのなんてこれが初めてじゃないし、第一好きな人から求められて悪い気はしない。
 胸元に埋まる彼の頭を撫でる。つむじに口付け、梳くようにデュースの髪へと指を通して。精一杯宥めたつもりだった、だが彼の嗚咽は大きくなるばかり。

「……好きだ」
「私もデュースが好きだよ」

 私の胸へすりよりながら彼は告げる。そんな場合じゃないのだけれど、子供のように甘えてくる彼になんだかきゅんとしてしまう。ちょっと天然気味なところとかに多少覚えることはあれど、こんなダイレクトに母性本能をくすぐってくる姿は思った以上に強力すぎて少し動揺した。
 そのまま母親のような気持ちで彼を慈しんでいたのなら「違う」と反論が聞こえて。デュースが身を起こして私から離れる。ぐずぐずに濡れながらも、彼の瞳はまっすぐ私の姿を射止めていた。

「お前が言ってる意味じゃねえよ、一人の女としてお前が好きだ」
「………………えっ」
「やっぱりわかってねえじゃねーか、最初からずっとそのつもりで言ってんのに。俺はお前に惚れてんだよ」
「ほれっ……な、なぜ……?」

 最初からというとベッドインする前から彼は私に惚れていたことになってしまう。女に耐性がないとはいえ、チョロいってレベルじゃないぞ。そもそもどこにそんな要素あった? 投げたり締めたり……ごにょごにょな目に合わせたり、私大概ひどいことしかしてないよね? 純粋に思ったままの疑問を口に出せば、涙の後が残る頬がうっすら赤らんだ。

「俺の目を見て話してくれた女なんて、母さん以外お前が初めてだった。それに強いし、優しいし……えろいとこも好きだ」

 エロくなったのは未来の君のせいだけどな! 内心でこそツッコめたが、思わぬ愛の告白に現実の私は再び硬直してしまった。
 そうして無防備になった私を彼は押し倒してきて。まんまとベッドへと沈められた私へデュースが覆い被さる。

「お前に惚れた男がいるのは知ってる。だから帰したくねえ、お前と離れたくない」

 据わったピーコックグリーンの瞳に第六感がヤバイと訴えかけてくる。不穏な空気を察知をした私は早速抜けだそうとしたが、巻き付けたシーツが足に絡まって脱出するための技が繰り出せない。う゛あ゛あ! 横着せずにちゃんと服を着るべきだった!
 ならばと突っぱねようとした腕はあっさり彼の手に捉えられ、ベッドへと縫い付けられる。彼の馬鹿力はもうこの時点で備わっていたらしく固定された手首は全く動かない。

「待って、デュース。落ち着いて」
「うるせえ」

 まずい。さっき終えたはずの性的な匂いが漂ってくる感覚に肌が汗ばむ。完全に逃げる術を失った私へぐっと彼は顔を近づけてきて。絶体絶命のピンチに焦れど、全く解決策は浮かばない。唇が触れる寸前、混乱した私は咄嗟にそれを叫んでいた。

「私の好きな人は未来のデュースだから! 私は君の未来の恋人なの!! このまま閉じこもってたら一生その未来は来ません!!!」
「……は?」

 土壇場に思いついた台詞だったが、どうやら彼を動揺させるのに成功したらしい、私を押さえ込んでいた彼の手が緩む。
 その隙を逃さず、引っこ抜いた腕で彼の足を押す。そうして密かにシーツから解放していた己の片足を彼の下から抜き出して。余っている方の手で彼の足を抱え、全身を使って横方向へとひっくり返る。
 その結果、今はデュースがベッドに横たわり、私が彼に被さっている状態だ。さっきは憎んだアホみたいに広いベッドだが今は一応感謝しよう、じゃなかったら二人して転げ落ちてるところだったから。
 ほぼほぼ一瞬で逆転した体勢に彼は目を丸くしている。本当はここで股間を蹴り上げて相手がのたうち回ってる間に逃げるのだけれど、さすがにその仕打ちをするのは酷というものだろう。

「だから私は今の君の恋人にはなれません! 以上!」

 言い切った後、シーツを巻き直してベッドから下りる。現状を理解しきれていない彼が呆然としている今がチャンス、まっすぐ部屋の出口へと向かう。
 本当は一緒に出て行くつもりだったけど、こうなった以上仕方あるまい。ただドアノブに手をかけた時点で私は立ち止まって。

「……未来の君が好きになる私は君が好きになった私じゃない。君の事を知らないし、お父さんから受け継いだ誇りを魔法に否定されて卑屈になってるし、そもそも『私』ですらないんだ」

 更生していないってことは彼が私になる前の『ぼく』に出会えるのは一年後ぐらいだろうか。夢の中で一度会ったきりで、それだけ期間が空いたなら、きっとすぐに私の姿は霞んでしまうに違いない。
 それに今の彼が恋と思い込んでいるものは物珍しい相手への好奇心か、あるいは体を重ねてしまったことで発作的に湧いた情の可能性が高い。冷静になれば、すぐに勘違いだったと気付く事だろう。
 しかも彼に恋する前の『ぼく』は今の私とは全くの別人だ。髪は短いし、うじうじしてるし、女の子らしさもかわいさの欠片もない——なのに期待している私がいる。

「それでも、もしまた好きになってくれたなら、その時はデュースの恋人にしてね」

 だから振り向きながら笑顔で一方的に約束を取付けてドアノブを回す。ぎいと開いた扉から溢れてきた光が私を包んで。その光に飲み込まれる寸前、彼が「上等だ」と告げた気がした。

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