つまり、とこしえ 03

「いえ、大丈夫です。歩くって言っても目と鼻の先ですし」
「だが女性を一人で夜道を歩かせるのはな……」

 放課後、私は学園長に駆り出され、先生達のお手伝いをしていた。
 ひたすら紙束にホッチキスをしていくだけなので魔力の無い私でも参加できる。上級生の選択授業で使う資料らしいが、魔法でちょちょいのちょいとはいかないらしい。普通にホッチキスを使った方が早いし、労力も少なくてすむと。
 グリムはイグニハイドに泊まってるから、別に急いで帰る必要はない。だから最後まで手伝っていたのだけれど、全部片付く頃にはすっかり日が暮れてしまっていた。
 そのため、トレイン先生が寮まで送っていくと申し出てくれたのだけれど……。
 本当は素直にこの好意に甘えるべきなんだと思う、好きな人と二人で過ごせるチャンスなのだから。だが私はどうしても申し訳なさの方が上回ってしまう。

「おや、にトレインではないか。まだ帰っておらんのか」
「あ、リリア先輩。今日は……えっと寮長会議でしたか?」
「寮長会議ならこんな遅くまでかからん。あとお主がマレウスに連絡してくれるからの、わしが参加する機会もめっきり減ったわい。今、ちょうど部活が終わったところでの」

 どうやって先生を説得しようか。悩んでいたところ、通りがかったリリア先輩が近づいてくる。
 ツノ太郎への寮長会議の通達が間違っていたんだろうか。そう不安になって訊ねたところ、部活でつい盛り上がって遅くなったのだと先輩は言う。演奏じゃなくて、たぶん会話がなんだろうなあ……。
 ふとこの状況を打開する方法が浮かぶ。先輩に迷惑をかけてしまうことになるから、断られたらそれまでだけども。

「あのリリア先輩、今から帰るんですが、オンボロ寮まで送っていただけないでしょうか?」
「ふむ、かまわんぞ」
「ありがとうございます。トレイン先生もお気遣いくださり、ありがとうございました」
「ああ、二人とも気を付けて帰るように」
「はい!」

「のう、。あれトレイン、誤解しておるぞ」
「何をですか?」

 月のぼんやりした明るさの中を先輩と歩く。いつもとは形が違っても、普段と同じくおしゃべりしていれば、話題が切れたタイミングで先輩がそう切り出した。
 裏門を出てオンボロ寮に辿り着くまではまっすぐ一直線でさほど距離はない。だが街灯もなく、見慣れたはずのそこは朝や夕時とは全く違った雰囲気を醸し出していた。
 先輩がいるから大丈夫だけど、正直なところ、ちょっと怖い。これはトレイン先生が心配するわけだ。リリア先輩に付いてきてもらって本当によかった。

「たぶんな、お主とわしが恋仲だと思われとる」
「えっ」
「わざわざトレインの誘いを断って、わしに願ったじゃろう? ならば、そう解釈するのが自然ではないか?」
「ご、ごめんなさい! 私、そこまで考えが回らなくて……」
「よいよい。むしろお主のような愛らしい娘と恋仲と間違われるなど役得じゃろう」

 フォローだけにとどまらない先輩の発言に、お世辞とはわかっていても照れてしまう。
 なんとなく会話を続ける言葉が見付けられなくて無言のまま歩くうち、オンボロ寮についてしまった。あ、と無意識にこぼした声は自分でもわかるぐらい寂しげで。なんだか恥ずかしい。
 先輩に聞こえていませんように。そう密かに願う私に向かって、先輩は「まだ話たりんのう」とウインクする。あ、これ絶対聞こえてたな……。
 気まずい気持ちと喜んでいる自分に板挟みになりつつ、私は先輩を敷地内のベンチへと案内した。

 ベンチに並んで腰掛けながら、私とリリア先輩は会話する。
 今日も先輩は聞き役に徹するようで、だからその気遣いに甘えて私は好き勝手に自分のしたい話を語っていく。

「お主の大伯母君は多才な方なんじゃのう」
「はい。日本文化……えっと私の故郷の伝統的な技能をたくさん教えてもらいました」
「伝統的な技能というと、茶道やら華道のことかのう?」
「あっ、そうです。こっちの世界にもあるんですね」
「以前その名称を耳にしたぐらいで詳しくは知らぬが。お主の話を聞く限り、極東とお主の故郷はよく似ておるからのう」

 リリア先輩とのやりとりで、恋愛相談よりも、他愛もない会話の割合が増えてきたのはいつからだっただろう。もう思い出せないけど、随分前からそんな風になっていた気がする。
 私以外の誰も知らない故郷の話、それは友人達との雑談に挙げるのは憚られた。異世界なんて眉唾物だし、全く情報がない以上盛り上げようがないし、何より故郷を恋しがっているのかと気遣わせてしまいそうで。
 だけどリリア先輩にはこうやって気兼ねなく話せている。先輩からリクエストしてくれたから。知らない土地の話を聞くのは楽しい、私自身のことも知りたい、と。どんな話でもリリア先輩は興味深そうにしてくれる。

「大伯母様はどれでもいいから一つ楽しんでくれればいいって気持ちだったそうなんですが……大伯母様に教えてもらったこと、見事に全部ハマってしまって」
「多趣味なのは悪いことではないぞ。わしも年を食ってから色々挑戦してきたが、おかげで毎日が充実しておる」
「そう言っていただけると気が楽になります。大伯母様と違って、殆ど中途半端な腕前なので……。あ、でも茶道は自信あります! 大伯母様が一際気合いを入れて教えてくれたので!」
「ほう。ならば、わしにもふるまってもらおうかのう。教え込んだとのことじゃが、大伯母君は茶道を特に好んでいたのか?」

 リリア先輩の質問に私はピタッと動きを止める。なんてことない当然の疑問、だからこんなに動揺するのはただただ不自然だろう。
 頭ではそうわかっているのに今の私は戸惑っていた。普通に「そうなんですよ〜」って流すべきだった、ならばそれで終わる話だったのに。
 ただでさえ鋭い彼相手に今更嘘を吐いたところで看破されるのが目に見えてる。だからまごつきながら正直に口にした。

「初めて大伯母様に茶道を体験させてもらった時に失言してしまったんです、たぶんきっとそのせいかと」
「失言?」

 拾い上げられた単語に、私は言葉に詰まった。
 こんな話、語られたって困るだけ。止めておけ。私の中の理性がなんとか押しとどめてくれる。
 でもリリア先輩のまっすぐな視線は黙秘を許してくれそうもない。聞かせてくれるまで居座るぞ、そう目で訴えてくる。彼の無言の追求に耐えかねて、おそるおそる口を開いた。

「茶道で飲むお茶、抹茶って言うんですが、それ他のお茶より少し苦めなんですね。その分、先に食べるお菓子がすごく甘くて、おかげでお茶を飲むとすっきりするようにできてるんですが」
「ほうほう」
「初めて参加させてもらった時、祖父との生活が落ち着いてきた頃だったので、まだ私小さくて。だから大伯母様、気遣ってくれたんです。苦くないかって、無理に飲まなくても良いって。でも私、大伯母様が点ててくれた抹茶が本当に美味しくて、それで言っちゃったんです……『洗剤より苦くない、痛くない、美味しい』って」
「……は? 洗剤?」

 先輩は訳がわからないって顔をしてる。そりゃそうだろう。洗剤は食べ物じゃないんだから。
 正直なところ、リリア先輩の料理はとても不味い。でもそれを人に食べさせるのは決して嫌がらせではないし、ましてや食べ物じゃないものを混ぜるとか食べ物で遊んでるわけじゃない。
 ただ食べる人が栄養をたくさん取れるように、と相手の健康を願った結果、栄養豊富ならじゃんじゃん入れようからのモザイクかかるような状態になるだけで。味見しないのは自分が食べる分も相手にいっぱい食べさせたいだけで。食に対する冒涜みたいな料理を作るけど、その根底には食べてほしい相手への愛がある。だから理解できないだろう。
 どんなにおなかが空いたって、洗剤は臭いだけで明らかに飲む気になんてなれないし、いくら分別が付かない子供でも口に含むはずがない。
 無理に飲まされでもしない限り。

「そんなことがあったから、きっと楽しい思い出で塗り替えられるように励んでくれたんだと思うんです。大叔父様が色んなところに連れて行ってくれたのも、祖父が家でいつも遊んでくれたのも、きっと同じ理由かと」
、お主いったい……」

 呆然とした様子で先輩が呟く。驚くのも仕方ない。この世界の人は親が子を愛するのは当たり前のことだった。
 リドル先輩のお母さんのように子供の輝かしい未来を願うあまり厳しくしすぎたり、どうしようもない理由で育てられず誰かに我が子を託す親はいる。
 でもお腹を痛めて生んだ子供を憂さ晴らしのためにいたぶる親はいないのだ。
 そんな世界の人にとって私の経歴は刺激が強すぎるだろう。だけど戦争という地獄を味わい乗り越えたリリア先輩ならば。
 先輩にとっては迷惑な信頼だろう。わかっていながら、私は初めて自らこの話を口にする。先輩には聞いてほしかった。なんでだろう、トレイン先生にすら話すつもりなかったのに。

「かなり幼い頃の話なので、もう殆ど覚えてないんですけどね。母子家庭だった頃、まあ……こういうのが当たり前の環境にいまして」

 口頭で説明するよりも見せた方が早いか。そう思った私は袖をめくって二の腕近くに何個もある丸い火傷跡を見せる。治療のおかげでかなり薄くなっているが、完全に消すことはできなかった。
 戦場で過ごしてきた経験からだろう。リリア先輩は跡の形からして意図して付けられたものだとすぐさま気付いたようだった。先輩の真白い顔が少し青ざめている。

「あの頃のことは祖父も周りの人も頑なに教えてくれませんし、話題にも出しません。でも間違いなく皆に余計な苦労かけてしまったのはわかるんです。だから……きっと、おじいちゃん、は」

 私の中学卒業のお祝いパーティの後、なんだか妙に眠いと言って寝床に入ってそのまま、おじいちゃんは二度と目覚めなかった。老衰と言うにはまだ早すぎた。だから若い頃の無理がたたったのだろうとお医者様は言ってくれたけども、きっと違うのだ。
 あんな母親でも子供を引き離すのは法律的に難しいと聞く。私を保護するに当たって、どれほどの無茶をしたのか。
 引き取ってからも面倒ごとだらけだっただろう。両親が健在でも大変なのに、おじいちゃんは一人年老いた身で私を育てなきゃいけなかった。性別の違う、しかも被虐待児なんて難儀な子供を。
 ぼろっと目から滴るそれを拭うことなく、私はしゃくりあげながら言葉を続ける。

「私がたくさん苦労をかけたから、私がいなきゃ、おじいちゃんはあんなに早く亡くなったりしなかったのに。私、何も、おじいちゃんに返せなかった。おじいちゃんはずっと私を愛してくれたのに、私、全然、恩返しできなくて」
「お主の祖父がお主がいない日々を望んだか? 違うじゃろ」

 しどろもどろになっていく私とは対照的に、先輩はきっぱりと否定した。

「確かに子供を育てるのは大変じゃ。だがな、そんな苦労すらも愛おしくなるほど楽しくて幸せじゃった。お主を見てればわかる。お主の祖父にとって、お主と過ごした日々は何にも代えがたい宝に違いない。それにな、可愛い我が子が健やかに過ごしてくれるのが一番の親孝行じゃ」

 幼い私がおじいちゃんだと言い張った棒とぐちゃぐちゃの線にしか見えない絵を立派な額縁に飾って「家宝にする!」と喜んでくれたおじいちゃん。
 一週間後にテストがあるのと泣きついたなら、できるようになるまで逆上がりの特訓に付き合ってくれたおじいちゃん。
 ピアノのコンクールで三位だった私に「の演奏が一番心に響いた」と涙ぐみながら慰めてくれたおじいちゃん。
 私が作った料理に「これならいつ嫁に行っても安心……いや、やっぱだめじゃ!! まだ早い!!」と叫んでいたおじいちゃん。
 最期の夜、高校の制服姿をお披露目した私に「大きくなったなあ」と優しい眼差しを向けてくれたおじいちゃん。

「思い出してみよ、。お主を愛し愛された祖父はいつだって心から笑っていたじゃろう」

 ——おじいちゃんもなあ、が大好きじゃぞ。
 大好きだった祖父の顔が頭に浮かぶ。大きな手も優しい声も全部大好きだった。もう二度と会えないけど、それでも私は。

「……帰りたい」

 さっきよりも落ちる涙と一緒にずっと溜め込んでいた願いがこぼれる。

「帰りたい、帰りたい。おじいちゃんと過ごした家に帰りたい。おじいちゃんのお墓参りに行きたい、大伯母様の点ててくれたお茶が飲みたい、大叔父様と約束してた舞台を一緒に見たい。帰りたいよぉ……」
「よしよし。ここにはわししかおらん、だから気兼ねなく吐き出すがよい」

 しゃくりあげる私の背中を撫でながら、先輩は優しい声で促す。
 今までにないほど、子供のように泣きわめく。それでもリリア先輩は最後まで隣に居続けてくれた。

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