君が望んだハッピーエンド 02
「うわー……キッツ」
明らかに面倒な空気だったろうにケイト先輩は拒まなかった。
ここじゃなんだからと近くにあった先輩の知人が経営するバーへと連れて行ってくれて、そこで話を聞いてもらう流れに。
先輩はさっきまでその店で飲んでいたらしい。泣き跡が残る女を連れて戻ってきたことにただならぬ気配を感じたのか、驚きつつもマスターは個室へと案内してくれて。
先輩が注文してくれていたホットミルクを口にしたことで少し気分が落ち着いた。今もなおケイト先輩にあんなくだらない話をすることに抵抗はあったが、もう巻き込んでしまった後。意を決して包み隠さず先程の出来事について語る。
聞き終えた先輩の顔は見るからに引きつっていた。
「……ごめんなさい、こんな気持ち悪い話を聞かせてしまって」
「いやこれは一人で抱えるにはキツすぎるって」
「おつかれさま」その言葉と共にぽんぽんと頭を撫でられる。胸がキュッとなって止まったはずの涙がまた滲んだ。
この三年はいったいなんだったんだろう。彼に告白された時、私はまだケイト先輩への想いを引きずっていたから断ったのだ。それでも一年口説かれ続けたことで根負けし、お付き合いが始まって。
始まりこそあんな形だったけれど、この短くない交際期間の中で私は心から彼を想うようになっていたのに。ああ、でも他の人を想っていたというステータスはあの男の性癖からして、マイナスではなく興奮材料だったのかもしれない。だから私が選ばれたのか。
気付いてしまった事実に余計、気分が落ち込む。ただ、ひとまず先輩に吐き出したことで今後について考えられるだけの余裕が出てきた。
他の男に明け渡そうとしたぐらいだから、そこまで執着してないかもしれない。だけどフられた男が復縁を執拗に迫るようになるのはよく聞く話だし、警戒するに越したことはないだろう。
そう言った意味では最悪だ、残念ながら自宅も職場も知られている。寝床はしばらくビジネスホテルを使ってもいいが、仕事はそうもいかない。
職場で待ち伏せでもされたら厄介だ。かといって上司に相談したところで面倒がられるだけだろう。別にあの会社に愛着や恩もない、だったらいっそ転職するのもありかもしれないな。
「念のために確認しておきたいんだけど、ちゃんもう彼に未練とかないよね?」
「皆無です」
「わあ、即答。まあ、うん、そうなるよね」
私の答えにケイト先輩は苦笑いを浮かべる。二年も付き合った相手に非情かもしれないが、あんなの百年の恋だって冷めるだろう。次こそは自分を大切にしてくれる人を好きになれたら。
「ねえ、ちゃん」
いつの間にかぺたりとくっつけられた額に変な声が出た。さっきまでの意気込みが一瞬で吹き飛ぶ。お互いの吐息が触れ合うこの距離はただの先輩と後輩でしかない私達にはふさわしくない。けれど目前の緑に引き込まれたかのよう、私は身を離すことができなかった。
すりっと軽く鼻が擦り合わされる。ぐつぐつと体温が上がっているのは私だけじゃないらしい。私も先輩もさっきまで飲んでいたからだろう、二人分のアルコールの香りが混ざる。
そして、さっきまではなかった熱が先輩の瞳に宿っていることに気付く、酔っ払いの戯れで片付けるにはその視線は甘すぎた。
「オレね、ちゃんが好きだって認めなかったこと、ずーっと後悔してた」
「え……?」
「怖かったんだ。ちゃんは元の世界に戻るつもりだったみたいだから、どうせ離ればなれになるなら好きになりたくないって。バカだよね、もうとっくに手遅れだったのに」
先輩が少し離れてぼやくように言葉を零す。愁いを帯びた表情、抑揚のない声色、どちらも記憶の中の彼とはかけ離れていた。
片手を取られて指を絡められる。まさかの告白に頭はまだ追いついていないのに、私は咄嗟に先輩の手を握り返していた。
「ちゃんが帰るなら、オレがそっちに行けばいいだけの話なのにね。オレくん、新天地での生活は慣れっこなんだからさ」
再び顔が近づく。それに私は自然と瞼を閉じて……唇が触れた。一回、二回、三回、重なるたびに深くなる口付けを私はただただ受け入れる。
こんなにも簡単に唇を許すなんて、ふしだらと思われるんじゃないだろうか。そう思っても拒む気にはなれなくて、そのうち頭の奥が痺れてきて何も考えられなくなった。
手と唇が離れて、代わりにきつく抱きしめられる。痛いぐらいの抱擁に私は切れ切れに先輩の名前を口にした。
「私、もう帰れないんです。そのせいで私すごく面倒くさい女になってますよ。きっと拠り所にしていた元の世界の分も先輩に縋って、縛って、背負わせて、迷惑ばっかりかけちゃうから」
「それを聞いて嬉しく思ってるって言ったら……ちゃん怒る?」
だから先輩とはいられない、そう突っぱねようとした言葉を遮るように先輩は私に問いかける。そんなの私だって嬉しいだけだ。きゅう、と先輩の服を握り込む。
「……本当に私でいいんですか?」
「もう君じゃなきゃダメなんだ。今更だけどオレが大切にしたい、オレが君を幸せにしたい」
絞り出すような声で告げられた懇願に、私から先輩の顔に唇を寄せる。それに先輩は目を丸くしてから静かに微笑む。
枯らしたはずが育ちきってしまった初恋を、私はもう無視することができなかった。