婚星迎え来たる夜に 01
「ごめんね、デュース。私、元の世界に帰るの諦められないんだ」
どうして、そんな彼らしかぬ弱々しい声の呟きに私はずっと頭に刻んできた言葉を口にする。
私が隣にいる未来を当然のように語る恋人へ別れを切り出したのは、卒業式の後夜祭から二人で抜け出した場でのことだった。
さきほどまでのキラキラとした表情から一転、狼狽し血の気の引いた顔で嫌だと縋る姿に悲しくならなかったと言えば嘘になる。
「お兄ちゃんにとって私はたった一人の肉親なの。ただでさえずっと迷惑かけてきたのに、これ以上心配かけられない。デュースなら私のこの気持ちわかってくれるでしょ?」
でも私は容赦しなかった。言外に彼の弱点であるお母さんの事を引き合いに出してまで私はデュースを切り捨てる。
だけどデュースも諦め悪く、なおも齧り付いてきた。帰ったとしても必ず迎えに行く、そんな過去の約束を取り入れた誓いを私に向けてくれる。それに私は黙って首を横に振るった。
動揺したのか、私の腕を掴んでいた彼の手が緩む。それを良いことに彼の手を振り払った。明確な拒絶に青ざめる彼をまっすぐ見据える。冴えた青緑が、私の大好きな色はすっかり涙に濡れていた。
「私はデュースのために捨てられない。だからもう貴方の傍に居たくないの、どうか私のことは忘れてください」
一方的に話を終え、愕然としている彼を置いて私はその場を去って。
あれから五年、あの日から私達は一切顔を合わせていない。けど私は彼をまだ忘れられずにいる。
◇
「……随分あっさりしてますねえ。それが理由で君は」
「養女の話が出た時から、なんとなく予想はしてたので」
学園長が続けようとした言葉を聞きたくなくて、私はつい食い気味に回答していた。
本日の業務を終えた後、私は突如学園長室へ呼び出されて。てっきりまた期限ギリギリの書類を発掘したのかと呆れながら向かった先で与えられたのは、一生元の世界に帰れないという宣告だった。正確には帰ることはできるが、私が最初から存在していないことになっており、元の生活には戻れないと。
故郷がなくなったことを寂しく思う気持ちはある。でも学園長の発言からして兄に余計な心労をかけずに済んだのだと。それに兄にはもう優しい義姉がいる。ずっと抱え続けてきた肩の荷がやっと下りてくれた事に私は安堵した。
卒業後、私は学園長の計らいでNRCの事務員に就職し、管理人の名目でオンボロ寮に住まわせてもらっている。人の住まない家はすぐに傷みますからねえと学園長は言っていたが、当時は戸籍もなく家を借りられない私への配慮だったのだろう。
それからしばらくして私は様々な査定を経て学園長の養女となり戸籍を取得したが、この世界は魔法はなくとも魔力ありきで回っている世界である。元よりする気はなかったが転職などできるはずもなく、今もこの学園のお世話になっているわけだ。
あとは事務員ついでに学園長の秘書業務やら家政婦をやってるので離れるに離れられないといった事情もあるんだけど。学園長ほっといたらすぐ書類とか洗い物溜めるんだよなあ……。
「それで本題はなんですか? その釣書見たら大体想像が付きますけど」
「話が早くて助かります! 実はうちの卒業生で君を娶りたいという」
「わかりました。その縁組お受けします。婚儀につきましては先方のご都合に合わせるとお伝えください、有休なら余ってますし」
「え゛えぇ……?」
なんだか長くなりそうだなと思い、さくっと話を切り上げる。どうせ断るなんて選択肢はないんだし。
学園長が私を養女に取ったのは慈悲だけじゃない。今回のように自分の手駒として働かせる為でもあったのだろう。私を手土産に金銭や利権を受け取る、つまり政略結婚という形で。
魔力もないし美しくもない、でも若いというだけで女はそれなりに価値は持つものだ。私の場合は人権も無いのでどんなに手酷い目に合わせようが問題にならないし。子供も期待できないだろうしなあ。娶るなんて言ってるけど妾が良いところだろう、よくて後妻でしょ。
いつかこんな日が来るだろうと予行練習しておいた甲斐あってスムーズに答えることができた。ふうと一息吐く。
「くん、君なんだか凄く酷いこと考えてませんか? 君の中の私やたら極悪人になってません? 私、優しいですよ?」
ちゃんと望まれてる対応をしたはずだ。なのに何故か仮面越しでもわかるレベルで学園長は困惑している。別に現実から目を逸らさないようにしてるだけですよ。そういった意味を込めて愛想笑いをすれば、どうしてか彼は唸っていた。
「……君のその思い切りの良さも困ったものですねえ。お見合いすっ飛ばすどころか、まさか相手すら聞かないなんて」
「大丈夫ですよ。家事は得意ですし、どんな人だろうとちゃんと理解ある良い妻になってみせます。私こっちに来てからはアレですけど、これでも兄の職業柄、元の世界では品行方正に務めてましたし、猫被るのだってお手の物なので」
「アレ、これ何か誤解生じてません? 先方は愛ありきで君に求婚してますからね??」
「性愛や愛欲も愛っちゃ愛ですよね」
「くん???」
「私が嫁いだらちゃんと自分で家事やってくださいね。前みたいに金と魔力にものを言わせて解決してたら年取ってから苦労しますよ。いつか生まれるかもしれない孫の為にもしっかりしてくださいね、お父さん。じゃあ後の手続きはお任せしますので。失礼します」
初めての呼称に動揺している学園長を置いて、私はオンボロ寮へと帰っていく。
自室に戻ってすぐ私はスマホを手に取って。今なお親交を重ねている先輩方へ結婚の報告を、友人達にはそれに付け加えて飲みへ誘う。
覚悟を決めるためにも、どうか最後に付き合ってほしい。そんな願いを込めながら友人達の返信を待ちわびた。
◇
「ワリィ、待たせたか?」
「ううん。大丈夫。急な誘いだったのにありがとう」
当日となれば全員から断られる覚悟もしていたが、ジャックだけはOKを出してくれて。夜、私は彼の指定で学園近くの街のバーで落ち合っていた。
飲酒解禁から友人達と何度も利用してきた馴染みの店だ。酒場ほどの騒がしさはないが、他のバーほど格式高くもない。だからこそゆっくり話したい時にはちょうどいい店で。
手頃な値段が売りのカジュアルバーだけあって普段はちらほらお客さんがいるんだけどなあ。週末にもかかわらず今日はやたら空いていて、私達以外の客はボックス席に一組いるだけ。なんだかその席の二人は見覚えがあるような、でも金髪の知り合いなんてルーク先輩くらいだし、おそらく気のせいだろう。
ジャックが私の横の席に腰掛ける。彼が注文するのに合わせて口にしていたカクテルを飲み干して。続けて二杯目を頼んでおく。近況報告や雑談で少しばかり時間を潰した後、言いにくそうにジャックは切り出した。
「学園長が決めた相手と結婚するんだってな」
「うん」
「ヤケになってねえか、お前」
ズバリ痛いところを突っ込んでくるなあ。でもジャックが聞いてくれて助かったとも思ってる。おそらく自分からじゃ、いつまで経っても口に出せなかっただろうから。
友人達はみんな、学生時代、私とデュースが交際していた事を知っている。卒業を機に別れたことも、それを切り出したのが私であることも。そのくせ私が彼をまだ想っていることも、たぶん気付いてるんだろう。
「……否定はできないかも。ただ同級生の間でもちらほら結婚したって聞いてるし、頃合いかなって」
「悪いことはいわねえ、止めとけ」
「ごめん、それはできない。もういいかげん忘れなきゃダメなんだよ。これぐらいしないと諦められない」
「いつか元の世界に帰るつもりだからか?」
ジャックの問いに、そういえばあの時そんな理由にしてたなとか、その件については話し忘れていたなとか、色々考えて。ひとまず元の世界にはもう戻れない事を伝える。
私が淡々と告げたそれにジャックは戸惑っていた。慰めようにも私があまりにもあっさり受け入れている、あとはデュースへの想いを断ち切ろうとしている理由がわからない、そういった所だろう。人づてに聞いた話ではデュースは特定の相手がいないみたいだし。
景気づけのつもりで二杯目を空にし、酒気と共に私は本音を吐き出した。
「本当はね、私、お兄ちゃんの事があってもデュースの為なら元の世界を捨てても良かったんだ」
「……ならどうして」
「警察官って本人含め三等親まで身辺調査が入るんだよ。就職する時とか、結婚する時とかね。そりゃそうだよね、国防を担ってるんだもん。だからさ、結果次第では就職や昇進できなかったり、あるいは退職に追い込まれることもある。調べたけどこっちも同じだった」
三杯目が置かれる。私の事情を知ってるジャックはこの時点で悟ってしまったらしい。難しい顔を見せる彼の耳はぺたんとしょげてしまっていた。
もうわかっているけれど、敢えて私はそれを口にする。一番言い聞かせないといけない自分に思い知らせる為に。きっと今の私はひどく自虐的な笑みを浮かべていることだろう。
「NRC入学まで一切経歴がない。そんな怪しい人間、警察官の傍にいて良いと思う?」
デュースは無事に長年の夢だった魔法執行官に就任した。先日それを教えてくれたのは彼を祝った共通の友人達で、ジャックもその一人だ。私はあの日デュースとの連絡手段を全て消し去っていたから。
彼が送ってくれた魔法執行官の制服を纏ったデュースは、私が知っている姿より大人びた彼は、本当にかっこよかった。きっとこんなにも立派な息子の晴れ姿を見られてデュースのお母さんも感動したんだろうなって。
彼の吉報を私も自分のように喜んだ、あの日私が選んだ道は間違いじゃなかったんだって。それからおかげで心に居座り続けていた想いを諦める決心をやっと付けられた。
「デュースね、お母さんのことをすごく大事にしてるの。ずっと自分の夢に向かってまっすぐ頑張ってて。僕が魔法執行官になったら結婚しようって言ってくれてたの。だから、だから、ダメだなあって」
自分でも支離滅裂だとわかってても思ったままの本音だけが口から出ていく。お酒は口を軽くすると言っても、さすがにこれはどうなんだろう。そんなに強くないくせ、ハイペースで飲み過ぎたかもしれない。頭がくらくらする、視界がぼやけてる。
頼んでいた四杯目の代わりに水が手元に届く。どうやらジャックが頼んでいてくれていたらしい。でも私はそれを含めぬまま、ぼろぼろと目から零した水でカウンターを濡らしていた。
「きっと私の存在は友達でも彼の夢の邪魔になる。なら傍に居ちゃダメだってあの瞬間気付いて、だから本当はもっと早く言わなきゃいけないってわかってた。でも言えなかった。それどころか絶対にしちゃいけない約束して。デュースから離れたくなかった。私、本当にバカだった。けどね、本当に彼の事が好きならデュースの幸せを願わなくてどうするんだって何とか踏ん切りつけたの」
大の大人がこんなみっともなく泣きわめく様を誰も咎めなかった。迷惑だろうに、ジャックも、お店の人も、他のお客さんも、楽しい一時を邪魔する私を黙って見届けてくれていた。
ウォータープルーフのマスカラはともかく他の化粧はもう涙でぐしゃぐしゃだろう。だからか散々泣きはらした後、バーテンダーさんから濡れタオルを渡された。汚れてもかまわないとの言葉に甘えて拭わせてもらう。
冷たくて気持ちいい。これで少しは酔いが醒めるかと思いきや全くだめだ。むしろ本格的にお酒が回ってきたみたいでフラフラする。ジャックのベストを握りながら、私は彼へ笑みを作って見せた。
「ねえジャック、お願い。私、頑張るから。頑張って、彼のお嫁さんになるから。だから挙式の時ね、いっぱい祝って。私が本当に幸せな花嫁だって思えるぐらい。そしたら私、きっと、」
デュースのこと忘れられるから、そう言いかけて言葉に詰まる。本当に?と酒が引きずり出した本性が心の底から問いかけてくる。
「」
ジャックは前にいるのに何故か後ろから声が聞こえた。そもそもジャックってこんな声だっけ? 違和感はあっても酔った頭は正しく判断してくれない。
ただ、さっきのそれは記憶にある彼の呼び方にあまりにそっくりで。だからなのだろう、気付けば私は本心を曝け出していた。
「っ、忘れられるわけない! 本当は諦めたくなんかなかった! どうして傍にいちゃいけないの、私こんなにもデュースが好きなのに、今も大好きなのに……」
途端、後ろから抱きしめられる。そのどこか懐かしいぬくもりに私は瞼を閉じて、それから——