明月ばかりと思うなよ 06

『……好きな子に笑っててほしいって思っちゃ悪いのかよ』

 僕の質問にそう返した親友は、怒り狂うのを耐えているようにも、今にも落ちかねない涙を堪えているようにも見えた。僕にとってあの恋はエースがそんな顔をしてまで守るべきものだとは思えない。
 でも彼女に笑顔でいてほしい気持ちは僕も同じで、エースが苦しみ抜いた末に出した決意を壊す気にもなれなかった。

 僕はが好きだった。きっかけはわからない。ただ気付いた時にはもう僕は、大切な友人と思っていた彼女を一人の女性としても見るようになっていた。
 だがもう一人の親友であるエースの奴も彼女に恋をしていて。想いを寄せ始めるまで気付いていなかったが、彼は僕よりも随分前からのことを思っていたようだ。
 いくら親友が相手でも譲れない、だからこそいつか言わねばと。ただその覚悟が決まるよりも先に僕の恋心はエースにバレてしまった。お前態度に出すぎなんだよと呆れ顔で指摘するエース、それに僕は内心バクバクだった。だってそうだろう。もしかしたら、この事が原因で僕らが仲違いしてしまう可能性は十分にあったのだから。
 だがエースは「どっちがに惚れられても恨みっこなしな」と挑んできただけ。僕としてはいざとなったら拳での語り合いも覚悟していたものの「いやそんなのオレが圧倒的に不利じゃね?」の一言で回避されて。
 そしてで僕らの邪な気持ちなど全く気付いていなかった。大親友である僕らを信頼するが故の無防備さには、幾度と悶々とした気持ちを抱えることになったが、決して嫌がっているわけではない。むしろ望ましく思っていたのだ。
 これらの要素が上手く噛み合ったおかげで僕らはそれまで通り三人で過ごす日常を保つことができた。なおかつその裏でお互いの心を掴むべくアピールを繰り返して。
 もちろん彼女との恋を成就させたかった。けれどもしエースがと恋人になったとしても僕は祝ってやれただろう。僕は意味こそ異なるが、のこともエースのことも大好きだったから。

『実は……好きな人ができたんだ!』

 ——ただし逆に言えば、それはエース以外は認められないという意味でもある。
 故に彼女の報告に対して、僕はその内容を受け入れられずにいた。彼女の言う相手が僕ら二人のうちならば起こるはずのない状況なのだから。

 が好きだと称した男は到底、彼女と釣り合うようには見えなかった。どうやら男の方も彼女を想っていたようだが、だからなんだというのか。
 僕だってが好きだ。彼女への想いはそんな簡単に諦められるような安いものではない。相手が相手だからみすみす渡してやる気にはなれず、には悪いが意地でも妨害させてもらうつもりだった。
 きっとエースも同じ考えなのだろうと。だって僕は知っていた、どれほどエースが彼女を想っているのか。ずっと見てきた、を愛してやまない彼の姿を。
 だけど僕の読みは見事にハズレてしまった。エースは自分の気持ちを押し殺して、彼女の恋を応援するポジションに立つ事を選んだのだ。全ては愛するの幸福のために。
 僕達のようにに想いを寄せる男は多い。そしてその大半の思考回路は僕と同じだろう。奪われたなら奪い返すまで、それが正しいNRC生の在り方だ。
 だから本来ならばの恋はとことん邪魔され、あの男と会話一つこなすことですら困難だっただろう。にも関わらずとあの男が仲を深められたのは他でもないエースの協力があったからこそ。
 に見せていたのは、ほんの一部。彼女が気負わないようにエースは暗い面は決して悟られないようにしていたし、これからも彼女が知ることはないのだろう。わざわざ隠している以上、僕も教えるつもりはない。
 本当は傷ついてるくせに、何でもないような顔で手助けして。そんなエースの姿を見てもなお、僕はあの男を手助けしてやるつもりにはなれなかった。
 その代わりと言ってはなんだが、僕はがあの男について語りたい時の話相手を可能な限り引き受けることにした。少しでもエースの負担を減らそうと始めたことだったが、これがなかなかに辛い。
 あの男について話す彼女はいつも以上に可憐で、ひたむきに恋する彼女はただただ美しかった。恋した女性が綺麗になるというのは迷信じゃなかったんだなとか、愛した男にはあんな可愛らしい笑みをするのかとか、どうしてその眼差しを僕達に向けてくれないのだろうと少し憎らしくなって。
 でも本当に辛い時、帰れないと知った彼女があの男ではなく、自分達を頼ってくれたことが嬉しかった。恋ではなくとも誰よりも信頼してるのだと身を持って教えてくれて誇らしかった。あの男が知らない、一番弱くやわらかな部分を教えてくれて愛おしかった。そうして、僕はどうやっても彼女を愛しているのだと思い知らされた。
 僕はエースのように大人になれない。でも親友達を見捨てることもできない。僕はもエースも大好きだから——

 二人を無意味に傷つけたこの男は死んでも許せない。

 ひゅーひゅーと虫の息で地べたに這いつくばった男を僕は何も言わず見下ろしていた。
 痛めつけるにしてもちゃんと顔と急所は避けた。まったく片腕が折れた程度で大げさな奴だな、利き腕とは逆だしお前は確か治癒魔法が得意なんだからこれぐらいどうってことないだろう。
 ふつふつと腹の奥からこみ上げてくる怒りのせいで体は熱くてたまらないのに、頭は妙に冷え切っていた。

「デュースお前さあ、なんでよりにもよってこんな明るい日にやっちゃうかなあ」

 ざっざっという足音に誰かがこの場に近づいてきているのには気付いていた。ただそれが誰なのかはわかりきっていたから、僕は逃げも隠れもしない。
 背後からやってきたエースは僕の隣に並び立つ。せっかくと二人きりになるよう計らったのに律儀な奴だ。

「いいかげん限界だったんだ」
「……ま、デュースにしてはよく我慢した方か」

 呻く男の怪我の具合を眺めながら、エースは「やり過ぎたら後が面倒だし、これぐらいなら妥当かな」と判断を下すだけで僕の行動を咎めることはない。
 セキュリティが強化されていたおかげで侵入こそされなかったが、ここのところ毎晩毎晩オンボロ寮の周辺をうろつかれて目障りだった。
 彼女をあんな風に傷つけておいて、よくもおめおめ顔を出せたものだ。エースの『おまじない』があったとはいえ、到底許せる振る舞いではない。
 どうせいずれお礼参りに行くつもりでいて、それがたまたま今日という日だった。深い理由なんてない。
 ただエースが指摘した通り、確かに今日は夜にしては随分と明るい。きっと月が眩いせいだろう。僕らの関係が変わったあの日と同じだ。あれから一度消えた月は再び満ち満ちて、少しの欠けもない状態で空に浮かんでいる。

「なんでこんなことするんだよ……お前らには関係無いだろ!?」

 あまりにも見事な満月だったから感心して眺めていたならば、その情緒をかき消すようなわめき声が地面から飛んでくる。気分を台無しにされ、僕は思わず眉を顰める。
 折った方の腕を押さえながら、相変わらず地面と仲良しなままの男がぎゃあぎゃあと騒ぎ立てていて。

「よくも僕の邪魔をしやがって! 全部お前らのせいなんだろ! お前らが何かやってんだろ!」
「うっわ、うるせ。で、何かって?」
「とぼけるな! この一月、彼女と二人きりになるどころか彼女に会うことすらできてないんだぞ! いくらクラスが違うからっておかしいだろ?!」

 エースは本来複雑な術式を用いる魔法を解析し、簡易な術式へと落とし込むことを得意としている。
 彼がしばしばに授ける『おまじない』はその技術の集大成だ。エースが告白の日にへ刻んだのは、被術者およびその対話者の意志を守る……簡単に言えば洗脳除けの魔法である。
 告白を妨害されただけではは諦めないだろう。でも男の口から拒絶されれば彼女の恋は瞬く間に終わる。彼女の想いを諦めさせるには、そうなるよう仕向けるのが最も容易で効果的だとエースはわかっていたから、男がちゃんと自分の意志で彼女の気持ちに応えられるようにした。
 だと言うのに、こいつは彼女の想いも、エースの温情も、己の意志で踏みにじったのだ。

「他の奴らから聞いてるんだ、彼女はずっとお前達と一緒にいるって! だったらお前らが僕に対してだけ彼女を隠してるとしか考えられないだろう!」
「……それは違うぞ。ただ例え真実だったとしてもお前に教えてやる義理はない」

 今、彼女に与えられている『おまじない』の効果はこの男が自ら招いた結果だ。
 僕らが隠しているわけじゃない。がこの男を写さないように写らないように望んでいる、それだけだ。

「彼女は僕が好きなんだ! 彼女はお前らじゃなく僕に好きだと言ったんだ! 彼女の愛はあの月の光のように僕へ降り注いでいるんだ!」

 喋れなくしていいか。エースに目で伺いを立てようとしたのだが、彼は僕ではなく男を温度のない瞳で見下ろすばかり。その眼差しの冷たさに喚いていた男がようやく口を閉じる。視線を合わせる為か、エースは男の前にしゃがみ込む。

「……廻る夜毎に変わりゆく月へ愛を誓ってはなりません、それでは貴方の愛も変わってしまう」

 彼の呟きに、顔を真っ赤にしてぱくぱくと口を開くばかりで何も発せない男。それにエースは「誰でも知ってる名作の台詞なんだけど、もしかしてわかんない?」と皮肉げに唇で弧を描いた。
 どこか聞き覚えがあるような、そう思い返してこないだのリクエストで見た映画の台詞だと気付く。あまり興味の無いジャンルだったからまじめに見ていなくて、むしろ見終わった後に「え、ロミオもジュリエットも生きてるの?! なんで?!」と驚いていた方がインパクトに残ってる。どうしてそんな怖いこと言ったんだ……?
 それはさておき、僕にはエースがその言葉を引用した理由がイマイチわからない。ただいつものように心を折りにいってるんだろうな、というのはなんとなくわかるけれども。僕はそういったまどろっこいのは専門外なんだ。

「欠けない月なんてあるわけないだろ。せいぜい過ぎた光に縋って泣いてろ、バーカ」

 これ以上ない綺麗な笑顔でエースが言い放つ。
 僕にはさっぱりだけども、このやりとりは男にとっては精神的にやられるものだったらしい。呆然とした様子を見せながらぶつぶつぼやいていた。
 そんな男の姿に満足したらしいエースは立ち上がり、僕に「行こう」と背中を叩いて促す。正直僕としてはあと二十発ぐらい決めたいところなんだが、この怒りもの顔を見たらすぐ吹き飛ぶことだろう。拳を下ろし、エースと共に彼女が待つ寮へと歩みを進める。
 なお、後でエースにあれってどういう意味なんだ?と尋ねたところ「オレ、デュースにだけは一生勝てる気しねえわ……」と心底呆れた顔で溜め息を吐かれた。解せない。

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