花盗人さん、どうかハッピーエンドで抱きしめて 01
「未来の伴侶がわかるおまじない……ですか?」
「今うちの寮で流行ってるんッスよ」
水面の浮きを眺めるラギー先輩の口元へドーナツを運ぶ。釣りの邪魔になるかと思ったが、私と喋る余裕があるなら大丈夫だろう。
あむ、と私が差し出したドーナツを大きく口を開けてラギー先輩は囓る。やっぱり気にとめてない。
ドーナツの生地にくっきり付いた歯形は思っていたより鋭かった。あと一口が大きい。ベビーフェイスに騙されがちだが、先輩もれっきとした肉食獣なのだ。たとえ私が作ったドーナツを食べて頬を緩ませる可愛い一面があっても、立派なハイエナなのである。
今、私はサバナクロー寮の敷地内の生簀へとやってきている。この生簀だが、サバナクローにはラギー先輩のように釣りや、あるいは魚のつかみ取りを趣味とする寮生が多い為に設置されたんだとか。寮生の殆どが獣人、それも肉食動物だから、たぶん野生の本能が疼くんだろう。
なおこの生簀だが、オクタヴィネル寮生には不評らしい。海魚と川魚と違いはあれど同じ水の生き物が狩られるのが微妙というのはわからなくもない。
そのわりにはモストロ・ラウンジで魚料理提供されてるんだけど、なんならリーチ兄弟主催でタコパも開催されたりする。頭の良い人の考えはよくわからない。
本日は休みなので、私は数少ない趣味であるお菓子作りに励んでいて。今回のドーナツはとびっきり美味しくできたものだから、おもわずラギー先輩に届けに行ってしまった。
先輩の好物がドーナツと聞いてからというもの、ちょくちょく食べてもらっていたのだ。食べ終えたラギー先輩が唇を舐めて「また腕を上げたッスね」と褒めてくれる。それに私は内心でガッツポーズを決めた。
生簀に来たものの、私は釣り竿を持っていない。だから横で先輩が釣りをしてるの眺めててもいいですか、と許可を貰って。私の申し出に変な人ッスねえ、とは言いつつも先輩は隣に座るよう進めてくれた。
私としては手持ち無沙汰でも先輩の傍に居られるだけで胸がいっぱいなのだけれど、先輩は無言の時間が耐えられなかったようだ。いかにも女の子が好みそうな話題を振ってきた。
ただ先輩いわく獣人は外見に似合わずロマンチストが多いらしい。カップルを見ると祝福せずにはいられないし、あとこれはこちらの世界の全員に言えることだが、ラブストーリーの最後は必ずハッピーエンドだと信じているのだとか。
そういえば確かに、あのジャックですら恋愛についての話題を出していた。ならば将来のお嫁さんが分かるだなんて話、食いつかずにはいられないだろう。
「元はこの話オクタヴィネルから回ってきたんスけど」
「……意外なところからきましたね」
「いや人魚も大概愛の生き物ッスよ。惚れた相手の為なら全て捨てて世界の果てまで追っかけるんスから、人魚姫が良い例ッスね。まあ今回の件はこの生簀を使わせない為の作戦だったんスけどね」
どういうことかと詳しく聞いてみたところ、最初このおまじないが回ってきた時は『呪文を水面で唱えること』が条件だったらしい。
各部屋に風呂があれば良かったのだが、寮長以外は共同浴場しかない。だが談話室やそこらの水たまりだと誰かに見られるかもしれない。それでこの人目に触れない場所に設置された生簀に人が殺到したのだとか。
そうして常に生簀に人がいる状態にして、釣りやら狩りに来たやつを「オイこら空気読めや」と追っ払うように仕向けたと。なるほど。
ちなみに秘密裏に行いたいのはてっきりプライドの問題かと思ったら、その日が来るまでは俺のお嫁さんを独り占めしたいからなんだとか。理由かわいいな。
「結局、水面じゃなくて鏡でも代用できるってことがわかったんで、みーんな木の上とかトイレの個室とかで手鏡持ち込んでだらしない顔してるみたいッス」
「そういえば水面のこと、水鏡なんていいますもんね」
「そうそう。だからそこに目付けた奴がいて試したら……ビンゴってね。そもそも水面と鏡は魔術的にどちらも境界線なんッスよ。夢と現実、あるいは世界と世界の狭間らしいッス。これは鏡の国のアリスでおなじみの知識ッスね」
二年のテストで出るから覚えてて損は無い、美味しいドーナツのお礼だとラギー先輩が笑う。本当はその笑顔だけで十分過ぎるのだけれど……ありがたく頂戴しておこう。
ふと気付いたのだが、先輩の上がった口角にドーナツの欠片が付いている。思わず指で掬い取ったらハンカチで拭う前にかぷりと指ごと咥えられた。ひょえ。
ごちそうさまと呟いた先輩はいたっていつも通り。こっちは心臓が止まるかと思ったのに。それが悔しくて、ちょっと動揺させたくて、あとは純粋に気になったからそれを口にした。
答え次第ではこの恋が死ぬことになるけれど、それならそれで諦めも付く。大丈夫、諦めることには昔から慣れている。
「先輩のお嫁さんはどんな人でした?」
「オレは使ってないッスよ。せっかくのお楽しみが減るじゃないッスか」
反撃の狼煙はしょっぱなからかき消されてしまった。ぐぬぬと唇を噛んでいれば、ラギー先輩は釣り竿を持っていない方の手を私のそれに重ねてきた。
なにごと?! バッと顔を上げる。だがさっきまで水面ばかりを見ていた先輩は私から顔を背けていて、表情が全く見えない。ただ、僅かに見える頬がなんだか赤い。
「……オレは監督生くんに綺麗なドレス着て横に立ってほしいんスけど」
ぐいぐい、と釣り竿が強く引かれて激しくしなっている。凄い大物なのだろう。でもラギー先輩は釣り竿を持つ手ではなく、重ねた手に力を込める。ちょっと痛いくらいに握られているのにそれが心地よい。
「ラギー先輩。私、元の世界に婚約者がいるんです」
「えっ」
咄嗟に手を離してしまったらしい、ぼちゃんと釣り竿が生簀に落ちる。その拍子に大物は逃げてしまったのだろう、私達の周囲は痛い位に静かになった。
こっちを見たラギー先輩の顔は真っ青で。私と同じ気持ちでいてくれたのだとわかってしまう。だからこそ、私は涙が止められなくなってしまった。
「父の会社のお得意様で、十六になったら結婚させるって、高校も通わせてもらえなくて、早く跡継ぎを産むことだけ考えておけって」
泣きすぎてうまく声が出ない。優しいラブストーリーに満ちたこの世界からはあり得ないことなのだろう、ラギー先輩の表情が固くなる。
「でも、私、本当はずっと夢だったんです。子供の頃から、好きな人のお嫁さんになるのが夢だった」
「……だったら、その夢、オレが叶えてあげるッスよ」
ぎゅっと強く抱きしめられる。涙やらでぐちゃぐちゃの顔が隠せるのは助かるが、これでは先輩の服が汚れてしまう。その事を伝えたら「そんなの後で洗濯すりゃあいいんスよ」と極めて先輩らしい答えが返ってきた。
おずおずと先輩の背中に腕を回す。男の人はおろか、誰かに抱きしめられること自体これが初めてだ。だから勝手がわからず消極的になってしまう私に対し、先輩はいっそう腕の力を込めてくる。
どのくらいそうしただろう。一分ぐらいだったかもしれないし、一時間ぐらい経っていたかもしれない。しばらくしてラギー先輩が「あ゛〜〜」と急に唸りだして。
先輩の腕から離されてしまった。そのかわり先輩は私の両肩を掴む。しばし先輩は唇をむにむにと気まずげに動かした後、口を開いた。
「……つい勢いでプロポーズしちゃったんスけど、まずはオレの恋人になってほしいッス」
「ッ、はい!」
涙でべしょべしょの顔のまま笑う。もう一回汚れたら同じと思ったのか、可愛い顔が台無しッスよとラギー先輩は自分のシャツで私の顔を拭ってくれた。
小さい子扱いみたいだなと思うと気恥ずかしくて、その気持ちを誤魔化そうとへにゃと力なく頬を緩ませる。それを見たラギー先輩は何故かきゅっと唇を噤む。
どうしたんだろうか。顔に影が差したかと思えば、ふにと唇にやわらかいものが触れた。一拍置いてドーナツに塗した粉砂糖の味が口に広がる、もう確かめる術はないけどきっと使ってなくても甘かったのだろう。
「あ、あのラギー先輩。今の」
「ハイエナの前でそんな無防備にしちゃダメッスよ」
牙を見せつけるようにしながら、もう一度ラギー先輩が顔を近づけてくる。私が逃げようとすることなどお見通しだったらしく、いつのまにか腕を掴まれていた。
待って待って待って!別に嫌じゃないんですけど、一度終えた後で今更なんですけど、心の準備が……!
「コバンザメちゃん、小エビちゃん、おめでとう〜!」
「わあああああ!!」「きゃああああ!!」
「フロイド、もう少し待ちなさいと言ったでしょうに」
ざばあと突如生簀からウツボ姿のリーチ兄弟が現れる。びっくりしすぎてお互い抱きしめてしまったが、それよりも目の前の状況が気になってしょうがない。何してるんだ、この人達!
「オイ、リーチ兄弟! お前らずるいぞ! 俺達とっくに歌う準備してたのに!」
「そうだそうだ! こっちはずっと踊りたくてうずうずしてるっつーのに! とりあえず踊っていいか!?」
「よくねえッスよ!」
と思ったら、続けざまにどこからともなく大勢のサバナクロー生が駆け寄ってきた。今にも宴が始まりそうな勢いだった。カリム先輩か?本当に何してるの?
リーチ兄弟はアズール先輩の命令で釣りの邪魔をする為に生簀へ潜んでいたらしい。じゃあ何か面白そうなことが始まったから待機していて。対してサバナクロー生は私達からラブロマンスの雰囲気を察知して密かに見守っていたらしい。この世界の人って暇なの?
そして始まるどんちゃん騒ぎ。誰かが歌い出し、負けじと張り上げられる声。ビブラートが凄い。歌にあわせて、どこかの劇団員かと尋ねたくなるレベルのダンスが始まった。誰かが出した花びらが空を舞う。いつの間にか用意された楽器が奏でられる。
しかも途中で聞きつけてきたレオナ先輩やカリム先輩にジャミル先輩も乱入してくるし、収拾がつくのがまさか夕方になるとは。
「聞いてはいたけど、実際にやられるとこんな気分なんスね……。もーせっかくの雰囲気台無しッスよ〜……」
ようやく解放され、げっそりとした様子のラギー先輩。疲れている彼には悪いが、私は嬉しかった。こんなにも私達の恋を祝福してもらえて。
ここに来るまで、私にとって恋は縁遠いものだった。いっそ呪いというべきか。夢見れば見るほどに苦しめられるだけの存在だった。
だから初めて人を、先輩を好きになった時も幸福感よりも恐怖が強くて、ずっと諦めることばかり考えていた。でも今は。
「ラギー先輩、大好きです。どうか私のこと、先輩のお嫁さんにしてくださいね」
ぱちり、と瞬き一つ。それからラギー先輩は頬をほころばせて「任せてほしいッス」と胸を叩く。
夕日に照らされる中、私達の影が再び重なる。閉じた瞼の裏で私は先輩との幸福な未来を夢見ていた。
けど夢はいつか覚めるもの。
そんな当たり前のことを私は忘れていた。