奥様は優しい罠の中 02

 四年に進級して初めての休日、その日もいつものようにエースはオンボロ寮に遊びに来ていた。いわゆるおうちデートというやつだ。
 ひとまず一本、エースが借りてきたアクション映画を見終わってああ面白かったと余韻に浸っていた中で、私はその話を切り出した。

「そういえばエース、私ね、この世界に残ることにしたんだ」
「……お前はそれでいいわけ?」

 私の決断にさっきまでゲラゲラ笑っていたエースは打って変わって真剣な表情で尋ねてくる。
 散々彼には両親のことを聞いてもらっていた以上、その反応を見せるのも仕方ないことだろう。エースにだけは両親に会いたいという弱音を吐き出し続けていたから。

「私、前に元の世界の記憶に曖昧なところがあるって話したでしょ。でも最近思い出しちゃったんだよね」

 こちらの世界に来た時、棺の中に入れられていた私は見覚えのない制服を着せられ、スマホも財布も元の世界に置いてけぼりにされていたのだが、何故かペンダントだけはこちらの世界に持ち込めていた。
 大きさ違いだがデザインはお揃いの二つのリングが通されたそれがずっと不思議だった。どうして私は両親の結婚指輪をペンダントにしているのだろうと。絶対に無くしてはいけないという気持ちは覚えていたのに、その経緯を私はすっかり忘れていた。
 でも無意識にわざとその理由を調べないようにしていたのかもしれない。普通に考えたらすぐにわかってしまう話だったから。

「……この世界に来る少し前に、お父さんとお母さん、事故で亡くなってるって」

 服の中から取りだしたペンダント、そのトップ代わりに使っている父の結婚指輪を手先でいじる。これは形見分けだったのだ。
 ちょっと考えればすぐに辿り着く答えである以上、エースも予測していたらしい。語る私にいつも明るい彼らしかぬ、沈痛な面持ちをエースはしていた。

「ごめんね、エース。せっかくずっと私のわがままに付き合ってくれてたのに」

 以前ゴーストマリッジで同級生達の結婚観やらを聞いたその数日後、当時はまだ友人だったエースから尋ねられたのだ。そういえば監督生は理想の結婚相手ってどんな奴?と。
 それに私はエースのそれと似たようなことを伝えて、両親の話を持ち出した。貧しい時も辛い時も一緒に乗り越えてきた、あの二人のようになりたいと。
 私の母はいわば良家のお嬢さんだったらしく、父とは駆け落ち婚であった。おかげで母は実家と絶縁状態となり、父は元より孤児。他に頼れる人はおらず、全て二人で解決していくしかなかった。
 今までの豊かな暮らしから一変、生きていくだけで精一杯の貧乏生活はお嬢様だった母にはひどく堪えたことだろう。でも記憶の中の母は一度も弱音を吐いた事がないし、いつも父と幸せそうに笑っていた。
 決して裕福な家庭ではなかったけど、それでも父が営む小さな食堂で家族と送る日々はあたたかいものだった。

 ここに来たばかりの頃は家族との思い出だけが心の支えで。何があっても両親の元に帰ってやる、そう思わないとやってられなかった。
 だから、どんな小さな事も忘れたくなくて、ずっとエースに両親の話を聞いてもらっていたのだ。
 でも此処で暮らしていくうちに、たくさん大事なものができてしまったせいか、私の決意は揺らぎ始めて。全然帰る方法は見つかっていなかったけれど、大切な相棒や友達、それから恋人のエースと離れることが怖くなったその時。
 私は思い出してしまった。戻ったところで待っているのは二度とおかえりが返ってこない暗い家だけ。エースにだけ明かしていた帰る理由は元より存在していなかったのだ。

「皆とこれからも一緒にいたいと思ってたから、帰らない理由ができて良かったはずなのに……家族がもういないってきついなあ……」

 事故のあと一生分泣いたはずで、それに三年以上経っているのに。じわりと視界が滲む。
 本当は悲しんでる場合じゃないとわかってる。ここで生きていくと決めた以上、今はこれからのことを考えるべきだ。
 卒業までもう一年を切っている。同級生の中には既に内定をもらってる子がいて、エースも大手からいくつかオファーが来ているんだとか。もちろん魔法を使えない私には縁遠い話である。だがこの短い期間で私はなんとしてでも卒業後の生活基盤を整えなければならないのだ。
 今はオンボロ寮という生活拠点があるものの、さすがに生徒でなくなってしまったら住ませてもらうことはできないだろう。だから何とか就職して新たな住処を得なければならないのだが。
 ここで異世界人という壁が立ち塞がる。そう、私にはこちらの世界の戸籍がない。下手したら性別のせいで学歴すらなかったことにされかねない。学園長は卒業後も悪いようにはしないとは言ってるけど、どこまで信用できたものか。
 社会的信用0の現状を考えると就職も家を借りるのも難しい。うーん、権力者かつ女性に優しいレオナ先輩か、良くも悪くもおおらかなカリム先輩に泣きついて頼み込んだらワンチャン戸籍用意してもらえないだろうか。

「じゃあオレと家族になればいいじゃん」

 今後のことを危ぶむ私にプレイヤーからDVDを取り出しながらエースが口にする。
 先程まで見ていた作品をケースにしまって彼はパチパチと目を瞬かせる私を見つめてきた。軽い口調、いつも通りの表情、けれどその言葉は確かな重みがあった。ごくり、と喉を鳴らす。

「それは……トラッポラ家に養子縁組する的な……?」
「いや、なんでだよ」
「だってエースのおばさま、週末に電話するたび『ちゃん、そろそろうちの子にならない?』って聞いてくるし」
「待って、自分の母親と彼女が毎週電話するような仲だって今知ったんだけど」

 彼女になって初めてのホリデーを私はエースの実家で過ごすことになった。その滞在中にエースのおばさまと随分打ち解けたのだが、別れ際に『いつでも電話していいからね』と番号を教えてもらったのだ。
 エースは親からの連絡とか嫌がりそうだから、てっきり私を通してエースの近況が知りたいのだろうと。だが実際はエースの事はそっちのけで、ガールズトークに花を咲かせていたりする。
 ぐに、と片手で私の顔をエースが掴む。まなじりを決した彼の顔が目の前に来る、今の彼のそれは照れ隠しで怒る時の表情だった。

「もっと単純に考えればわかるじゃん、オレと結婚しようってこと!」

 力強く言い切ってエースは私の顔からぱっと手を離す。直前まで掴まれていた違和感に顔をさすりながら、私は思ってもみなかった申し出にぽかんとしてしまう。結婚?私とエースが?
 そういうことを想像したことはないと言えば嘘になる。私だって年頃の女の子だ、好きな人のお嫁さんになる妄想の一つや二つするし、ゴーストマリッジの時の彼の雄志を思い出して、ときめいたりだってする。
 でも現実問題として考えるなら話は別だ。

「私、たぶんどこにも就職できないよ。もし働けたとしても、まともな仕事には就けないだろうし」
「魔法士の待遇舐めんな。初任給でもお前を養うぐらいラクショーだっつーの」
「異世界の人間だから子供できるかわからないし、できても私に似て魔力がない子かもしれない」
「人魚と人間どころかゴーストの間でもできてんのに、そんな心配いる? 魔力がなくても別にいいじゃん、元気に育ってくれるだけで」
「エースの親御さんだって不安でしょ、私、身元まったくわからないし」
「オレの家族にあれだけ気に入られててよく言うよ。とっくに了承とってるし、むしろ死ぬ気で捕まえろって母さんに尻蹴られてるんだけど!」

 思いつく不安要素を挙げていけばエースは即座に説き伏せてくる。
 あとは、学園長はいっこうに帰る方法を見つけられずにいるけど、来たきっかけがわからない以上、何かの拍子に元の世界へ帰ってしまう可能性があること。
 でもそれを口に出せずにいるのは私が彼のプロポーズを断りたくないからなんだろう。煮え切らない態度の私を見つめながら、エースは大きく息を吸い込んだ。

「あ゛〜〜もうっ! お前ってば、くだらないことでグダグダ悩みすぎ!オレと結婚したいか結婚するか、さっさと答えてよ!」

 それだとYESかハイしか選択肢ないのでは。なんて指摘するのはあまりにも野暮だろう。
 最初に口にしてきた時は余裕ぶっていたのにだんだん恥ずかしくなってきたのか。今のエースは耳まで赤くなっていた。あれだけ赤面見られるの嫌がっていたのに、私の為に頑張ってくれたのか。

「……本当に私でいいの?」
がいいんだよ。一緒に居て楽しいし、お前とならきっと何があっても大丈夫だってわかってるから」

 ナイトレイブンカレッジに入学してきてからの三年間、私達は様々なトラブルに巻き込まれてきた。でもいつだって(成績とか留年を盾に恐喝するパターン多かったけど)力を合わせて何とか凌いできた。だから彼が確信しているように、私もエースとなら辛い時も苦しい時も乗り切れると信じてる。
 先程とは違って嬉しさに涙が浮かぶ。素直に言っていいなら、エースが望んでくれるなら、もう遠慮しない。

「エースと結婚したい」
「……言ったな。じゃ、パパッと終わらせようぜ」

 言い切ると同時、ソファから立ち上がったエースは部屋の隅に置いていた鞄から書類を取り出して私にサインを促してきた。それは私の署名欄以外は既に書き終わっている婚姻届だった。
 ご丁寧にも私の保証人の欄には学園長の名前が記入されている。だからあとは私がサインすれば完成してしまう。いや待て待て、何やってるの、学園長。

「名字思い出せないままなら、名前だけでいいから」

 その用意周到さについ(卒業したので学園にはいない的な意味で)今はなきアズール先輩を思い出した。というか、えっ、今?卒業した後じゃなくて?
 私の戸惑いそっちのけで、はーやーくーと急かしてくるエース。いやホントちょっと待って、それこそこんな簡単に進めちゃダメでしょ。例えその準備をエースが着々と終わらせていた事実があったとしてもだ。

「落ち着こうエース、せめて卒業してからとか」
「ヤダ」
「なんでさ!」
・トラッポラになれば、お前はもう二度と元の世界に戻れなくなるから……って言えば納得する?」

 感情の読めない目でエースが語る言葉に、私は最近習ったばかりの魔術理論の授業の内容を思い出す。
 名前は魔術において大きな意味を持つ。名前とは本質を示す、あるいはそのものを構成する存在である。故に名付けとはもっとも身近にありながら、強い力を持つ魔術なのだと。それは名付けた存在そのものを塗り替えるほどに。
 この世界のものである彼の名字を貰うというのは、私をこの世界のものに仕立て上げるということ。帰れなくなって当然だ、つまり元の世界のという存在を殺すのと同じ事なのだから。

 もし私が未だに帰るつもりならば彼はこの事を教えてくれただろうか。……いや絶対に言わないな。お得意の悪知恵働かせて、しれっとサインさせて、ぜーんぶ終わった後に暴露する光景が目に見える。私の恋人はズバリあくどい、平気でそういうことする。
 強制帰還無効化とかなんつートラップ用意してるんだ。場合によっては絶望エンド一直線じゃん……ただ今の私にとっては救いでしかないのだけれど。

 彼の言い分を理解した私は一番の不安要素を取り除いてくれることに感謝しながらペンを走らせる。迷いはなかった。
 書き終えた時、何かが千切れるような感じがしたのだけれど、もしかしたらあれは元の世界との縁だったのかもしれない。
 二度と帰れないことについてだが、元の世界にお墓を残してきたとかなら若干悩んだだろうけど、幸いにも両親は永代供養にしてもらったので問題ない。冥福を祈るだけならどこでもできるし。

「はい、おつかれー。じゃあ後はこれ役所に提出して……」

 そういうところは元の世界と同じなのか。なんて呑気に考えられた時間はほんの一瞬だった。
 その後の色んなややこしい手続き含めてエースは手際よくこなしていく。あんまりにサクサク進めて行くものだから、もしかして結婚するの初めてじゃないんじゃ……なんて疑惑を抱いたものだ。
 なお正式に私が・トラッポラになり、渡した父の形見の指輪をはめようとしていたエースに聞いて確かめたところ、デコピンを食らった。手加減してくれてるみたいだけど結構痛い。私の質問にエースはなかなかお怒りのようだ。
 そんな彼の態度に懐かしさを覚える。あー、あれだ。初体験なのにあんまりにも気持ちよすぎたから、本当はエースって女性経験豊富なのではと思って尋ねた時と同じ反応だ、これ。
 あの時は「さっきお前と一緒に卒業したとこだけど?!」と照れギレされたのだけど、そう考えると私いっこうに成長してないな。
 じんじん痛むおでこを押さえる私にエースは鼻を鳴らす。うっわムカつく顔〜、イケメンでも有罪だこの野郎。

「バーカ。単にお前が確実に帰れなくなる方法、調べてただけですぅ〜。お前は帰りたい帰りたいなんてごねてたけど、こっちは帰す気なんて一ミリもなかったっつーの」

 やっぱりエースはさっき予想した通りの考えを持っていた。悪い顔して状況が違えば修羅場になっていただろう事実を吐き捨てる。初対面の時も思ったけど、エースってホント良い性格してるよ。

——どうやったって諦められないぐらい好きなんだから」

 だがその手段と最後のやたらボリュームを下げた呟きに、きっと最悪の展開になっていたとしても結局私は彼の暴挙を許しちゃってたんだろうなと思った。

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