知らぬが仏の顔は一度だけ
「先輩」
彼女がボクを呼ぶだけで心に春が訪れる。そう、ボクは恋をしている。初めての恋をしている。
ボクが密かに想いを寄せる相手はオンボロ寮の監督生。女の子で、それも魔法が使えない身でありながら、この魔窟ナイトレイブンカレッジで日々勉学に励んでいる。
何かとトラブルに巻き込まれながらも、持ち前の胆力で解決していく彼女は寮長達にも一目置かれていて、最初こそ目の敵にしていたが今では認めている奴も少なくない。人気者でありながらそれを鼻に掛けた様子はなく、ボクのような陰キャオタクにも優しく話しかけてくれる素敵な女の子だ。
委員の権限でラノベを入荷しよう。そう思って図書委員に就任したあの時のボクには感謝しても感謝しきれない。おかげで彼女と出会う事ができたのだから。
彼女の噂は耳にしていたし、何度か姿を見かけたこともある。だがそれだけだ。まず学年が違うし、いかにも陽キャですオーラを放っている姿に一生自分とは関わりのない人間だと思っていた。
その認識が変わったのはカウンターで貸し出し当番をしていたボクに彼女が本の場所を尋ねてきたのがきっかけだった。彼女は絵本もしくはエレメンタリースクールの教材は置いてないかと。
それに当時のボクは男装含む彼女の事情を知らなかったが為に「ここ名門校なんだから、そんな本置いてる訳ないじゃん」と嫌味ったらしく言ってしまった。前日オンラインゲームでボコボコにされ機嫌が悪かった上、突然陽キャに話しかけられ動揺したせいで。
言った後、我ながらやばいと思った。きっとキレられるだろうなって。だが彼女はボクの酷い対応に怒る事なく「そうですよね、すみません」と謝った。
衝撃だった。ナイトレイブンカレッジの生徒ならばあり得ない、しおらしい態度はボクの罪悪感を抉るのに十分で、気付けばどうしてそのレベルの本が欲しいのか、彼女に尋ねていたのだ。今までのボクならばあり得ない行動だった。
そこで実は彼女は一切魔法に関わった事がない身だと知った。例え魔法が使えずともある程度は義務教育で習うだろうに、きっとひどい田舎からやってきたのだろう。
同情と、それからあの対応にすっかりほだされたボクは「じゃあボクの家に残ってるやつ取り寄せてあげるよ」と彼女へ約束したのだ。
ボクの言葉に彼女はぱあっと表情を明るくして「ありがとうございます」と。この時はまだ女の子とは知らなかったけれど、ボクはその春思わす微笑みに一瞬で恋に落ちてしまった。
「先輩にオススメしていただいたこちらの本、とってもわかりやすかったです」
「そ、そっか。なら良かった……じゃ、じゃあ次はあの××著作の魔法書に進むといいよ」
彼女は頑張り屋さんで勉強家で毎日図書室に通っている。あのやりとりからも度々ボクらは会話を交わしていて。オススメの本を紹介したり、高い場所にある本を取ってあげたり。
ボクは話すのが苦手だし、彼女が普段接しているような連中と比べて顔も良くない。でも、それでも彼女はいつもニコニコと笑顔で接してくれる。
これは脈があるんじゃないか、そう期待したくもなる。男装を止めて以来、彼女はとても綺麗になったからだろう。彼女には誰か思う相手がいると噂されているから余計に。
「そ、そういえば監督生、これ、あげる」
「わあ、綺麗ですね」
「さ、最近はまってるお菓子のオマケ、なんだけど、女の子、そういうの好きでしょ」
ポケットから取り出したザクロのキーホルダーを彼女に渡す。まるで本物のガーネットのように輝くそれに彼女はお礼を告げながら嬉しそうな顔を見せた。
早く、この花咲くような笑みを独り占めしたい。どうかお願い、君をボクだけのペルセポネに。
「、今日もここにいたのか」
「あっ、デュース」
乱入者の名前にギクリと体が強ばる。せっかく良い雰囲気だったのに!
割り入ってきたのは彼女がよく一緒に過ごしている男、デュース・スペードだった。あの明らかに陽キャなエース・トラッポラと比べればマシといえばマシだが、なんとなく苦手だ。たぶんミドルスクールの時に絡んできたヤンキーにどことなく似ているからだろう。
そしてこいつはおそらく監督生が好きだ。彼女が男装を止めた頃から、こんな風にボクらのやりとりを邪魔し始めたところからして。大方、彼女が女の子と気付いて惚れたんだろうが……。ボクはその前から好きだったんだからな!
奴が来ると決まって彼女は貸し出しの手続きを始めてしまう。もっと彼女と話していたかったのに、そう思いつつカードを受け取る。
「重いだろ、僕が持つから貸してくれ」
「ありがとう、デュース」
そんな事もあり、この男をボクはなんか苦手な奴から心底大嫌いな奴になっていた。今もこうしてボクの存在を無いものとして彼女と会話してる姿がただただ腹立たしい。
「じゃあ、行こう」
「うん! あ、先輩、これ、ありがとうございました。鞄に付けますね」
そして今日も奴は彼女を連れ去っていく。だが彼女のそれを掲げながらの宣言に気分は上向いた。
キーホルダーを出した方とは逆のポケットからレーダーを取り出す。階段を下っていく赤い点に働きを確認して再びポケットへしまいこむ。
どうにも口元がにやけるのを止められない。ああ利用者が少ない日で良かった。
◇
あのキーホルダーにはイグニハイド生の本領を発揮し用意したお手製の発信器が埋め込まれている。本当は盗聴器にしようか少し迷ったけれど、さすがにそれは犯罪だろうと思いとどまって。
そしてキーホルダー渡してから数日経ったある日の放課後、彼女は図書館へ訪れていないようだった。本日ボクは当番じゃない、だから何の気兼ねもなく彼女の元へ向かう。
レーダーによると彼女は資料室にいるようだ。大方クルーウェルにでも授業で使用した道具を運ぶよう頼まれたのだろう。ボクもかつて何度かやらされたので知ってる、片付けもさせられるから時間かかるんだよな。
ああでもなんてツイてるんだろう! あの周辺は基本的に人気がないから告白にうってつけだ。だから偶然通りがかったふりをして片付けを手伝ったなら、この胸の思いを伝えるとしよう。
「……! …………!!」
「ッ〜〜〜〜!!!」
そうしているうちに彼女がいるであろう資料室の近くへ辿り着く。だが何やら微かに話し声と物音が聞こえる、彼女以外に誰かいるのか?
参ったなと思いつつドアの前に立つ。ガタガタと揺れる音に混じって、何か水音が。
「ッん、ひ、ああぁっ♡」
AVでいやというほど聞き慣れた甘ったるい声が耳に届く。ここは男子校だが、度々そういう関係に発展する奴らがいることをボクは知っている。でも、だけど、この声は。レーダーが示していたのは。
どくどくと痛いほど心臓が激しく鼓動している。暑くないのに汗でびちょびちょの掌、その指先はひどく冷たかった。がちがちと震える歯の根が合わない。
引き戸に手をかけ、音が鳴らないよう慎重に少しだけ開く。鍵はかかっていなかった。さっきよりもはっきり声も音も聞こえてしまう。ガンガン頭の中で警報が喚いていた。
息を殺して僅かな隙間からおそるおそる中を覗き——ボクは声を失った。
「あっ♡ でゅーす♡ だめ♡ そこ、よわ、ふああッ♡」
「だめ、じゃ、ないだろッ……!」
「やあっ♡ ぐりぐりしちゃやだぁ♡ ひうう♡」
そこには机の上に横たわり足を大きく開き、大嫌いな男に犯される好きな子の姿が広がっていた。
剥き出しの白い足がいやに艶めかしい。男が腰を打ち付けるたび、可愛らしい声で彼女が鳴く。こぶりな胸がふるりと揺れて、やわらかそうな太股がぶるぶると震える。とろけた表情にいつもの真面目な彼女の面影はどこにもなかった。
遠目で分かるほど彼女を貫く剛直はボクのズボンの下で膨れ上がった熱より遙かに大きかった。二人とも行為に夢中になっているのか、ボクの存在に気付く様子は全くない。彼女は自分を抱く男だけを見ていて、嫌がるような素振りを見せながらも奴の腰に足を絡めている。どこからどう見ても望んで繋がってるのは明白だった。
見たくない、聞きたくない。そう思うのに目が離せない、好きな子が他の男によって晒す痴態に視線は釘付けで。金縛りにでもあったかのよう足は動かなかった。
「ぅ、ん……でゅーす……?」
ぴたりと男が彼女の奥に潜り込んだ状態で動きを止める。突然、快感を遮られたというのに彼女は怒るどころか、男を労るように奴の頬へと手を伸ばした。
「、アイツと仲良くしすぎじゃないか?」
「あいつって、だれ……?」
「例の図書室の先輩だ。そんなキーホルダー貰ったりだとか」
そう言って男は彼女の体と共に机に乗せられていた鞄を指さす。その持ち手には見覚えのあるキーホルダーがぶら下がっていた。
本当は今すぐボクはこの場を去るべきだったのだ。だが自分の事が話題に上がって思わず耳を澄ます、後々酷く後悔するとも知らずに。
「ふふっ」
「笑わないでくれ……」
「デュースかわいいね、心配しなくても大丈夫だよ」
——だって、私、あの先輩の名前も知らないもん。
彼女が口にした男への慰めにヒュッと喉が惨めな音を立てる。そんな、こと。信じられない気持ちで必死に記憶を探る。
だが彼女は本当に一度たりともボクの名前を呼んでいなかった。いつだって「先輩」と、あれは、知らなかったから? 彼女はボクの名を知ろうともしなかった……?
どうして。そう自問自答しながらも本当はわかっていた。でもわかりたくない、認めたくない。彼女にとって自分はその程度の存在だったなんて。
未だ現実を受け入れられず愕然としているボクを置き去りに二人は行為を再開する。どんどん冷え切っていくボクの心とは対照的に二人は盛り上がっていって。
「すきっ♡ だいすきっ♡ でゅーす♡ でゅーす♡」
「僕も愛してる……!」
「あっ♡ でゅーす♡ ふ、ああ♡ もっ、う、わたし、だめ♡」
「ん、一緒にイこう」
深く口を合わせていた二人の体が大きく跳ねる。達したのだろう、縋り付く彼女の腕をほどいて男が剛直を引き抜く。薄緑のゴムの先には呆れるほどの白い体液が溜まっていた。
はあはあと二人の荒い息が交わる。ここに混ざっていたのではないか、そう錯覚するほどに濃い情事の空気がこちらにまで漂ってきていた。だがただただ冷たい下着の中がそれは幻想でしかないのだと訴えかけてくる。
手早くゴムの始末を終えた男へ彼女が両腕を伸ばす。あのあどけない笑みではなく女の色香に満ちた顔で。もっと、とねだるその声は甘く掠れていた。
「でゅーす……♡」
「ああ、ただ少し待ってくれるか?」
監督生にそう告げると男は彼女の鞄からボクが贈ったキーホルダーを引きちぎり掌に収めて。
バキンと音が鳴ると同時、レーダーから赤い点が消える。こうしてボクの恋心は男の拳の中で握り潰されたのだった。