そんなことは全然ない

「……キスはしましたよ」
「それは知っておる」
「そうですか……いや、なんで知ってるんですか??」

 確かめられた進展具合に恥じらいながらも答えれば、しれっとした顔で認識済だと示される。
 だがそれはおかしい。だってファーストキスは本当につい最近、ほんの数日前のことだから。まだ私とシルバー先輩の秘密のはず。
 なのでとっさに流されそうになりながらも、ツッコミを入れれば「あ、やっべ」みたいな顔をリリア先輩は見せる。一瞬、ちょっぴり天然が入ってる恋人が漏らしたのかと思ったが、リリア先輩の様子からしてその線は消えた。

「まあ……その、なんじゃ、ナイショじゃ☆」

 訝しげな私の追求にきゅるんとポーズを取りながら、かわすリリア先輩。何も誤魔化せていないはずなのに、あまりにも似合い過ぎるかわいこちゃんの動作に思わず気が抜けて口を噤んだ。
 なんでこんなに可愛いポーズが似合うんだ、この700歳。さすがだてに副寮長キュート担当(自称)が嘘になってないだけある。
 それに比べて自分は。彼から視線を落とせば、荒れた手が視界に入る。どうにかしたいと思いながら、つい後回しになったままだ。

 ディアソムニア寮にて、愛息子の恋路が気になるリリア先輩によって設けられた月一の報告会もこれで三回目。
 人払いされた談話室とはいえ、なかなかぶっ込んだ質問に思わず動揺してしまった。緊張をほぐすようにセベクが用意してくれた紅茶(なお、おかわりが欲しい時はこのベルを鳴らして僕を呼べ、絶対にだ、間違ってもリリア様に頼むんじゃないぞ!!と念押しされている)を口に含む。

「ともあれ仲睦まじいようで何よりじゃ」

 リリア先輩のその台詞に曖昧に笑う。ぎこちない笑顔になっていそうと感じても、それ以外の答えが見つからない。
 私とシルバー先輩が付き合い始めて早三ヶ月、世間一般から見れば私達の仲はスローペースなんだと思う。
 ツノ太郎達が気遣ってくれたおかげで何度もデートしたりしてるが、キス止まりの至って健全なお付き合いだ。
 というか、たぶんこれ以上の進展は望めない気がしている。私が、魅力的じゃないから、先輩に釣り合うような綺麗な女の子じゃないから。

 この学園には女の私よりも綺麗な人がたくさんいて、皆キラキラしてるのに、自分は身なりを磨くどころか日々を過ごすのが精いっぱい。先輩に告白されたのはそんな余裕のなさから、すっかり女としての自信を失っていた頃だった。
 密かに憧れていた彼から想いを寄せられていたことが本当に嬉しくて毎日夢心地で。
 でもいつの間にか私達の仲は停滞していて、それで悟ったのだ。シルバー先輩にとって私との交際は思ってたのと違ったんだろう、と。
 
 ——いつも一生懸命な姿が好ましいと思った、今もお前は綺麗だ

 自分は先輩の為に可愛くなることよりも生活を優先してしまう、そう伝えて告白を断ろうとした私の言葉を先輩は遮った。
 だからって本当にその通りだとは思わないだろう。愛想を尽かされてもしょうがない。先輩の優しさから出た慰めを真に受けて甘えた自分が悪いのだ。
 だとしても、きっと先輩から別れは切り出せないんだろう。私が先輩のことを好きで好きでしょうがないから。そのことに先輩が気付いていないわけがない。
 先日のキスだって私から仕掛けて至ったわけだし。
 シルバー先輩が初めての彼氏だからわからないことだらけだけど、きっとこれは普通じゃなくて。
 そのことを相談したい気持ちはあっても、自分が原因だという負い目と、リリア先輩を不安にさせてしまうかもしれないという心苦しさから言い出せない。
 だからその後は当たり障りのない会話を絞り出して、なんとか終わりの時間までやりすごしたのだった。

「あ、そうだ。カントクセー、これやるよ」
「え、っと……? 化粧品?」
「オレが使ってる、すぐにスマホとか触れるやつだけど……塗らないよりはマシでしょ」

 ある日、教室でエースにおはようと返した直後、ぽんっとそれを渡された。
 旅行の時とかに利用する、小分け用チューブ。透明のボディから見える中身からして何かのクリームのようだ。
 唐突なプレゼントに首を傾げる。だが詳しく尋ねる前にエースの視線が私の手に向かっていたことでハンドクリームだと察した。
 そういえばエース、部活とか手品に支障が出るからって小まめに塗ってたな。 
 この学園は指先まで気を遣ってる人が多いから、私のように荒れた手は珍しいのだ。それが恥ずかしくて、なんとなく隠していたのだけれど目敏い彼にはバレていたらしい。

「ありがとう、エース」
「どーいたしまして」

 オンボロ寮の窓と廊下を大々的に水拭きしてから、ずっとこの荒れ具合だった。だが今月は何かと出費が多いのもあり、つい後回しになっていて。
 でも実は気になっていたから、エースの優しさがとてもありがたかった。さっそく使わせてもらう。
 塗ってすぐだから当然まだまだ荒れたまま。だけどもいつもよりしっとりした肌の感触に少しだけ気持ちが前向きになる。

 そうこうしているうちに一時間目の授業が始まった。
 今日は二年との合同授業はないけども、放課後にオンボロ寮でシルバー先輩と会う約束をしていて。嬉しい気持ちと微かな憂鬱が胸を占める。
 この手が治ったら、ちょっとはシルバー先輩に自信を持って向き合えるようになるんだろうか。頭の片隅にぼんやりそんな愚かな願いを抱きながら、私は黒板を眺めていた。

、これをもらってくれないか」

 オンボロ寮の談話室にシルバー先輩を招き入れてまもなく、私は戸惑う事となっていた。
 数日前、リドル先輩から良い紅茶をわけてもらっていて。だからセベクが淹れてくれたものには劣るだろうが、先輩に紅茶を振るまおうとしたのだ。
 だけどもそんな私を先輩は引き留めて、二人がけのソファの隣に座らせた。そしてジャー容器を手にした彼がさっきのように切り出してきたから。

「えっと、その」

 差し出している先輩には悪いけども、荒れた手を見られたくなくて、まごつく私に「手荒れによく効くらしい」と先輩は口にする。
 その一言でさっと血の気が引く。朝エースがくれた時と同じ状況なのに心持ちは全く違った。
 先輩に気付かれていた。羞恥心から顔が熱くなるのがわかる。恥ずかしさに滲みそうになる涙をなんとか堪えて。
 もうバレているならと諦めて先輩から、それを礼と共に受け取る。勝手に気まずさを感じて何も言えずにいれば、先輩が説明を始めた。

「中身だが馬油のクリームだ。手荒れならばと、部活中に馬たちが勧めてくれた」
「待ってください。馬が馬油を勧めたんですか???」
「ああ、馬と人の皮脂は似ていて皮膚治療には効果的だと。部員達の日頃の手入れのおかげもあるが、どの馬も艶のある肌をしているから信用していいと思う」

 いったいどういう気持ちで勧めたんだ、お馬さん。
 というのも馬油の名産地出身である祖母から聞いた話によれば、馬油はたてがみからも取れるが、殆どの場合は食用馬を解体した時の皮下脂肪から採取するのだ。
 もしかしたらその馬は採取方法を知らないだけかもしれないけども、だとしてもなんというか。
 この裏事情を知っているせいか微妙な顔を見せる私に対して、シルバー先輩はいたって真面目な表情を浮かべるばかり。
 そんな温度差に肩の力が抜ける。先日のリリア先輩との報告会を思い出し、やり方は違えど張っている気を和らげる雰囲気を出せるのは親子だなあと感じた。

「今朝エースにもらったハンドクリームがあるので、それが無くなったら使わせてもらいますね」
「そうか、わかった」

 受け取ったそれをひとまず傍の机に置く。パッケージがないところからして手作りなのかもしれない。だとしたら防腐剤とかは入ってないよね、たぶん。
 消費期限との兼ね合いを抜きにしても、恋人からの贈り物である以上、早く使いたい気持ちはある。だけどもらった順に使うのが筋だと思うのだ。
 なのでその旨を伝えれば、シルバー先輩は納得してくれたようだった。

「……治ったら、また手を繋いでもいいか」
「え?」
「すまない。親父殿に相談するまで気付けなかったが、あかぎれのある状態で握られたら痛むのだろう?」

 前回のデートの時、ざらざらの肌を知られたくなくて、先輩が手を繋ごうとしていたのを避けた。そのことに対して、彼はそう解釈していたのか。
 あと先輩の話を聞く限り、どうやら私の手荒れはリリア先輩にも見抜かれていたらしい。まあ、あからさまに隠してたのシルバー先輩の前だけだったしな……。
 心配してくれてる様子のシルバー先輩に黙っておけるはずもなく、私もおずおずと口を開く。

「痛むわけじゃなくて、荒れた手が恥ずかしくて先輩に知られたくなかったんです」
「恥ずかしい?」
「みっともないじゃないですか」
「働き者の手だ。何も恥じることはない」

 きっぱりと言い放って先輩は私の手を包み込むように握る。先輩の温度に心臓が怖いくらい高鳴っていた。
 それから廊下や窓をくまなく磨いたんだろう、と先輩は言葉を続けて。俺も清掃魔法を使えなかった頃はよく荒れていた、とも。
 私の手をすっぽりと覆う先輩の手のひらは意外と硬い。おそらく剣ダコなのだろう、ゴツゴツとした感触がする。でも見惚れるような先輩らしい綺麗な手だ。

「最初、手を避けられた時、お前に嫌われたのかと思った。でもお前から口付けてきてわからなくなった。それで親父殿に相談させてもらったんだ」
「……リリア先輩、私達がキスしたの知ってたんですが、もしかして相談した時に話しました?」
「いやその前から知っていたから、おそらくデートを覗いていたか、当日着ていた服にユニーク魔法をかけたんだろう」

 まさかの可能性を探ったが、予想外の答えが返ってきた。シルバー先輩曰く、リリア先輩は一からの捜し物は苦手だが、元軍人だけあって尾行隠密はお手の物らしい。普段の神出鬼没っぷりに納得する。にしてもスキルの無駄使いなんだよなあ……。

「私がシルバー先輩を嫌うわけないですよ。逆はあって、も……」

 思わず遠い目をしてしまった私は想像以上に気が抜けてしまっていたらしい。
 失言だったと口を押さえた時にはもう遅かった。目の前のシルバー先輩は険しい表情を浮かべて「」と私を呼ぶ。その、いつもより低い声の威圧感に身が竦む。

「なんでそう思ったか教えてほしい。どうして俺がを嫌うと思った?」
「あ、う……その、釣り合わない、ので」
「釣り合わない?」
「シルバー先輩は綺麗だけど、私はこの通り魅力的じゃないし、自分から迫らないとキスもしてもらえない女で」

 混乱のあまり、溜め込んでぐずぐずになったコンプレックスが一気に表に出てきてしまう。自分でもめちゃくちゃなことを言ってるとわかっていても止まらなかった。
 先輩の反応を見るのが怖い。こんなこと言われたって困るだけなのに。流れた沈黙にただただ俯く。
 気まずい雰囲気にどんどん自分が惨めになってきて、何とか冷静になろうと「今日は帰ってもらえませんか」と言いかけたその時だった。
 ぐるっと視界が回る。横に置いてたはずのクッションの感触が背中にあって、抑え付けられた両手首は全く動かない。仰向けになっていた私へドアップで迫る王子様フェイスに思わず「ひょわ」とか意味の無い奇声がこぼれた。

「お前は俺を綺麗だと言うが、そんなことはない」

 いや綺麗だろ。何故か恋人に押し倒されている現状にパニックになりながらも内心で否定する。
 なおこうしてかろうじてツッコミした理性も今や、真ん前の恋人の美貌によって、語彙力と一緒に溶け落ち「ひえ顔が良い……」という感想しか抱けなくなっていた。

「後輩を可愛がるリドルの助力にも、友人思いのエースの優しさにも、俺は醜く嫉妬していた」
「しっ、と」
「最近はマレウス様や親父殿にすら抱く始末だ」

 そう言いながら私を見下ろす先輩は普段ならば感じることのない影を帯びていた。
 全く予想だにもしていなかった彼の暴露に動揺を隠せない。言い聞かせるような落ち着いた声色、なのにオーロラ色の瞳の奥にごうごうと煮えたぎる熱を見る。

「さっきも言ったが、お前に嫌われたと思っていたんだ。お前の態度がよそよそしいのは俺だけで、だから何もできなかった。でも違うなら」

 噛みつくように口を塞がれる。初めての時のそれは子供だましだったのだと思い知らされるような激しさにぐるぐると目が回る。
 急展開の連続に思考が追いつかない。唇が離れて先輩が短く吐息をもらす。お前が好きだ、と囁かれた声がどこか遠く感じる。
 先輩があまりに綺麗だから、勝手に決めつけていたのだ。私なんかじゃ、先輩にそんな気になってもらえるはずがないって。

「お前は俺が綺麗な男だと思い込んでいるが、そんなことはないんだ」

 しゅる、と首元のリボンタイが外される音がする。喉を撫でる冷えた空気が現実逃避を許さない。私の思い込みを全否定するように、見つめた先輩は男の人の顔をしていた。

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