彼女の香りは僕のもの

 香水は昔こそ貴族の衛生用品だったが、今は庶民でも楽しめる娯楽用品だ。なお貧乏学生である私にとっては結局贅沢品に違いない。
 だから手の届かないものと諦めていたのだけれど、先日サムさんのお店で大特価で売られていたので思わず買ってしまった。
 死んだ目をしたサムさん曰く「ポムフィオーレの小鬼ちゃん達の為に仕入れたんだけど、彼らは自分で作っちゃうから殆ど売れ残っちゃってね……」とのこと。多種多様に揃っていて、中には廃版になったものまであった。……何年売れ残ってたんだろう。
 ただ保存状態は良かったみたい。どのテスターもちゃんと香って問題なさそうだったので、特に安くなってたグループから買わせてもらった。あの中で好きな香りがあってよかった〜〜。安くなってるって言っても、やっぱり散財には変わりないのだ。貧乏性じゃない、貧乏なんだよ!
 そんな感じで売上としては微々たる貢献にも関わらず、購入時のセンキュー!の声がいつもより気持ち高らかだった。本当に困ってたんだろうな……。

 軽めの普段使いできる香りだけれど、内容量はそんなに多くない。だから特別な時にだけ付けよう……好きな人と会う日とか。
 彼とは会う約束をしてるわけじゃない、ただ決まった曜日に彼が図書室にいるから足を運んでいるだけ。恋人じゃなくて私の片思いだし。
 それでも指折り数えて待ち詫びた日の放課後、私は早速例の香水を身に付けてみたのだけれども。
 図書室で顔を合わせたセベクはなんだか難しい顔をしていた。
 たぶん香水が原因なのだと思う。というのも私の姿を見付けた時は変わらない様子で、ちょっと近づいてから表情が変わったし。あとそういえば部活に行くのに見送ったエースやデュースもなんだか微妙な反応をしていたんだけど、あの時にはもう香水を付けていたなと。
 オードコロンだし、手首にワンプッシュだから付けすぎってことはないだろう。なので自分ではわからないものだけれど、私の体臭とこの香水は相性が悪いのかもしれない。

、お前は僕と同じクラスのモーブンとは友人か?」

 彼の気分が悪くならないうちに帰ろうとした時、セベクから問いかけられる。図書室だからだろう。いつもとは打って変わって小さく、それからなんとなく固い声色だった。
 真剣な表情の彼は私をジッと見つめている。こんな緊迫した雰囲気で質問されておいてなんだが、あいにく誰だそれ?という感想しか浮かばない。本当に覚えがない。ついでに尋問なのではという緊張感が生まれた理由もさっぱりわからん。

「どこの寮の人?」
「ハーツラビュル生だ」
「だったら、なんでもない日のパーティで顔を合わせたこともあるかもしれないけど……ごめん、知らないや」
「親しいわけではないのか」
「そもそも知り合いですらないかな、その人がどうかした?」

 変にごまかすのもなんだし、正直に口にする。
 それにしても珍しいな、セベクが他の人の話題を出すなんて。今ではいつメンのメンバーに入っているセベクだけれど、基本的に彼は一部を除いて他人に興味が無い。
 だからちょっと驚いた。何かすごく印象に残るタイプだったのかな、それとも一目置くような才能があったとか?

「その男と同じ匂いがお前からする。アイツの場合、お前と違って付けすぎで品はないが」
「えっ」

 予想外の指摘に目を丸くする。それから周囲に迷惑をかけないように声を抑えつつも、必死でセベクに弁解した。
 サムさんの店でセールしていたから買った香水だから被ってしまったんだと思うと。
 慌てた様子だから嘘っぽく見えるかもしれない、でも冷静でいられるはずがない。男女が同じ匂いをさせてるなんて関係性があると自白しているようなものだ。実際にはそんなことはないのだけど。セベクに、好きな人に誤解されたくない。
 「だったら抜いておいてやる」とセベクがマジカルペンをふる。途端に纏っていた香りが飛んだ。どうやら私の訴えは無事に伝わったみたいで、脱臭魔法を使ってくれたらしい。

「勘違いする人間もいる、だから誤解されたくなければ付けるのは止めておけ。家だけで楽しむようにしても残り香は獣人や僕みたいに鼻の利く者にはわかるからな」
「そうだね。私が買った分と合わせて2個しか残ってないってサムさん言ってたし……残念だけどその人が使い終わってしばらく経つまで待つことにするよ。ありがとう。セベク」

 例のモ……モ、なんだったっけ? とにかく被っちゃった人も、私と付き合ってるなんて噂を立てられたら迷惑だろう。
 仕方ない。そう自分に言い聞かせて、しょぼくれる気持ちに蓋をする。せっかくセベクと一緒にいるんだから、暗い顔をしたくない。
 ひとまず取り繕った後、普段のように彼と他愛ない話をして過ごした。

「夜分遅くにすまない」
「ううん、大丈夫だよ。それでセベク、渡したい物って……?」

 オンボロ寮に帰って、少し早めの夕食を終え、食器を洗っている時だった。スマホの通知音が鳴ったものの、あいにく手が濡れてるし、グリムはハーツラビュルに泊まりに行ってるので出られない。
 着信じゃないから急ぐ必要はないのだけれど、セベク用に設定した音だったから早く確認したかったのだ。一通り終えて見たスマホには彼から個人メッセで『渡したい物があるから、今からそちらに向かっていいか』と連絡が入っていて。
 そうして現在、私はメッセージからしばらく経ってやってきた彼を門で出迎えていた。明日も学校があるにも関わらず訪ねてきたのだからよっぽど急ぎの品だったんだろう。促す私にセベクはシンプルながら品よくラッピングされた箱を渡してきた。

「これだ」
「えっと開けていいのかな?」
「ああ、ついでに問題ないと思うが確かめてほしい」
「……香水?」

 四角いガラス瓶の中で落ち着いた金色の液体が、街灯の光を反射して揺らめいている。その色合いがまるでセベクの瞳みたいだなと見惚れてしまう。
 彼にお願いされた通り試香するため、手首に吹きかける。馴染むまで待って鼻を近づけた。

「えっ、すごい。図書館の香りだ……」
「古本屋を再現したものらしいが、図書館のそれによく似ているだろう」

 ほんのり甘くて、どこか懐かしさを感じる香り。甘いのはきっとバニラだろう。紙が古くなっていく過程で放出される化合物はバニラの匂いや味の元となる成分と同じらしいから。ノスタルジックな印象はペッパーとウッディ系かな? 甘すぎないから男の人にも似合いそう。
 彼の贈り物は元々ヴィンテージやスモーキーとか重厚感のある香りが好きな私の好みにまさしくドンピシャだった。

「気に入ったか?」
「うん。すごく好きな香り」
「当然だな! 前に図書館の匂いが好きだと言っていただろう、それに近いものを選んできたんだからな!」

 確かに一度そんな話をした気がする。でもアレ、だいぶ前だったよね……。言った私ですら思い出すのに時間がかかったくらいだし。
 記憶力の良いセベクにとっては造作も無いことなのかもしれない。でも覚えていてくれて嬉しい。

「こんなに素敵なものを本当にありがとう、大切に使うね」

 オードパルファムだし、私が買ったような安物ではないと思う。だから彼以外に渡されていたら遠慮していた。何を対価にねだられるかわからないし。タダより怖い物はない。
 だがこれは落ち込む私を見かねた彼の優しさだ。それを拒むというのは美徳でもなんでもなく、ただの無礼だ。
 早速、学校につけていっちゃおうかな。セベクとしてもせっかくプレゼントしたのに大事にしまわれるより、使っている方が嬉しいだろう。

「その香りは僕も気に入っている」
「セベクにも似合いそうだよね」
「だから僕も同じ物を買ってある……明日から付けていくつもりだ」

 そう宣言する彼の声量はいつもからは想像できないほど静かで。彼の精悍な顔は微かに赤くなっていた。
 仕入れてあるのは私と彼の分だけで、少なくとも学園で同じ香りの者はいないと彼は続けて呟く。私を写す眼差しは落ち着いた色合いとは対照的にひどく情熱的だった。
 実直なセベクらしくない回りくどさ。ああ、そういえば私が気に入った恋愛小説に似たような描写があったなあ。今も忘れているけれど、きっとそれも私は彼に伝えたんだろう。

 そして私は明日知るのだ。それからしばらくして噂の二人になった私達が、本当になるまでさほど時間はかからないことを。

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