※涼しい顔をしていたが、先日椅子から転げ落ちてる

 昼食後に魔法史の授業を組み込もう。その時間割を誰が提案したのかは存じ上げないが、ぶっちゃけセンス皆無な先生だなと思う。さてはこの学園のOBじゃないな、OBだったら鬼畜以外の何者でもない。
 GOサインを出した学園長も学園長だ、そういう細やかな気配りができないから「私優しいので」がうさんくさいとか言われてるんですよ、学園長。
 そんなわけで午後の授業開始早々グリムは私の膝の上で丸くなって寝始めたし、左隣のエースは瞼に目玉の絵を描いて起きてるフリしてるし、右隣のデュースもさっきからガクンガクンとむちうちになりそうな勢いで船を漕いでいる。
 そういう私もだいぶうつらうつらし始めていて、此処がお布団の中でないことを心から悔しがっていた。ただでさえ昼寝の時間やら睡眠導入音声とか言われている授業を、満腹感から眠気に誘われる時間帯に持ってくるのは本当に卑怯だと思う。
 さっきから掌の目覚めのツボを押して何とか凌いでいるが、上瞼と下瞼が仲良くなるのも時間の問題だろう。授業に集中しようにも先生の言ってることが子守歌に聞こえてくるから、もうだめだ。

「次にこの世界の結婚についてだが……」

 などと供述していたのに。結婚の二文字が出てきた瞬間、自分でも訳が分からないぐらい目が冴えた。フロイド先輩ほどではないが、私も興味がある分野については食いつきが良いのだ。
 婚活で疲れ切ってる親戚のお姉さんとか見ている限り、大人になってからはわからないけど……。だいたいの女の子は小さな頃から結婚に夢を見ているものだろう、私もその一人だった。私の場合リドル先輩という恋人がいるのも大きい気がする。
 私は異世界人という立場からツイステッドワンダーランドにおける知識は殆ど無い。まず生活していく上での常識を学び、次に授業に何とか付いていこうと必死になっているせいで、気になっていてもこちらの結婚制度について調べてる暇などなかった。だから今回の授業は実に好都合だ。
 サバナクロー生のように耳が動くなら、きっと今頃私の耳はかつてないほどトレイン先生の方へ向けていたことだろう。だがあいにく私に可動式の耳はないので、代わりに気持ち前のめりになっておく。
 もし両隣のどちらかがいびきをかき始めたら鼻を摘まむか、首を殴って失神させる心づもりである。悪いが今日の私は容赦できるほど優しくない、こればっかりは遊びじゃないんだ。

 トレイン先生の言葉を一言一句聞き逃さぬよう耳を傾け、ひらすらノートへと書き連ねていく。
 幸いこちらの結婚制度も元いた世界とさほど大きく剥離はしていなかった。獣人達が番うんぬんの話や勉強の一環として読んでいた絵本にも夫婦が出てきたりしていたので、結婚のシステムがあるのはわかっていたけども改めて安堵する。
 国や身分、種族によっては一夫多妻あるいは一妻多夫もありえるが、基本は一夫一妻制。昔はそれなりに政略婚もあったが、現在では恋愛結婚が主流である。妻が夫の名字を改名することが殆ど。例を挙げていない物も私が元いた世界とだいたい同じ。感覚としては国際結婚に近そうだ。
 結婚についての取り扱いは今回の授業のほんの一部分だったようだ。話題が切り替わったのを確認し、さっきまでの話を頭の中で整理する。そうしてふと考えた。

 ……じゃあもし私がリドル先輩と結婚したら、私は・ローズハートになるのか。
 思い立ってなんとなくノートの端に書いてみる。・ローズ……あれ、ハートってどんな綴りだったっけ? 迷いつつもひとまず書ききる。なんか足りない気もするけどまあいいや!
 書き終えたペンの跡をまじまじと見つめて指でなぞる。声に出さず心の中で唱えて。自分で刻んだというのにその名前にぶわと私の胸は熱くなる。人知れず弧を描くように口端を上げた。
 ただ私はこの世界だと戸籍すらない。おかげで永久就職どころか卒業後の進路すら危うい状態である。そんな私がおそらく名家の一人息子っぽいリドル先輩と結婚とか無理だよなあ……。
 でも夢見るだけならタダだしね! 見るだけでときめけるこの落書きはしばらく残しておこう。教室でさすがにニヤけ面を晒す訳にはいかないから、オンボロ寮で復習する時に見て好きなだけ悦に浸りたい。
 幸か不幸か、すっかり寝入っている膝の上と両隣のおばかさんに、ノートを写そうなんて発想はなっから存在してないし、他の同学年の友人達はキチンとノートを取ってる優等生なので、まず私のノートが他人に貸し出される事は無い。
 だからノートを提出する時にでも消せばいいだろう。万が一消し忘れたのがトレイン先生に見つかっても、そこは大人だ。思春期あるあるってことで何事も無かったように流してくれることだろう。

「……居眠りをした生徒は、わかっているな?」

 そうこうしているうちに授業が終わっていた。チャイムが鳴ったというのに二人&一匹はまだ眠ったままだ。次も座学なので逃げ出すだろうグリムをこのまま運べるのと、ノートの中を見られずに済んだのは喜ばしいけど……だってエースとか絶対からかってくるし。
 仕方ない。ノートを閉じて私は手首をぐりぐり回す。準備体操もほどほどで切り上げ、私はスナップをきかせて両隣の二人を文字通り叩き起こした。

「監督生!」
「あ、リドル先輩」

 明日明後日の休日用に、図書室で自習用の本を借りた帰りだった。反対側から歩いてきたリドル先輩に呼び止められ立ち止まる。
 最近うちの寮生がよく居眠りして成績が下がってるらしくてね……とぼやいていた先輩。悩んだ末、リドル先輩はこの休日に対象者を(引きずってでも)集めて、トレイ先輩と共に地獄の勉強会を開くことにしたらしい。
 その用意でこの頃の先輩は忙しくて、なかなか一緒にいる時間が取れなかった。
 だからこうして彼の方から話しかけてきてくれたことに喜ぶあまり、とびっきりの笑顔を浮かべてしまう。もし私に犬の尻尾が生えていたら付け根を捻挫するぐらい……ぶんぶんぶんぶん振っていたことだろう。
 なお最近、私がエーデュースに対して当たりが強いのは二人が地獄の勉強会開催理由の筆頭だからである。恋する女は怖い、古事記にもそう書いてある。

「どうしたんですか?」
「すまない。この休みの間、魔法史のノートを貸してもらえないかい?」
「いいですよ……はい、どうぞ」
「ありがとう、助かるよ」

 さっそく鞄から取り出してリドル先輩に手渡す。理由は聞かないのかい?と受け取りながら尋ねてきたリドル先輩へ私は頷いた。
 おおよそ勉強会の為に授業の進み具合を確認しておきたい、といったところだろう。居眠り常習犯が対象となれば、彼らの証言は全く当てにならないし。
 あと以前、私はリドル先輩から個人的に勉強を教えてもらった時、ノートの取り方が上手いと褒めてもらっていた。恋人という関係性から頼みやすいというのも多少あるだろうが、おそらくはその点を評価されたのだと思う。リドル先輩は良くも悪くも公平であろうとする人だから。
 それに恋人に頼られて悪い気はしないというものだ。力になれるなら何でも手伝いたいくらい、でも魔力の無い私はできるのはこの程度で。それは少し寂しく思う。

「来週の休日は久しぶりに二人でお茶でもしようか」
「わあ、本当ですか!? 楽しみにしてます!」
「ボクも心待ちにしているよ」

 微笑んだ先輩は私の頬へ口付けると、来た道を戻っていく。……なんだ今の、その場にはぽかんと口を開けた私だけが残された。
 ただ時間が経てば経つほどに、さっきの先輩の攻撃はじわじわ効いてきて。先輩の唇の感触が残った頬を掌で押さえる。
 やられたことに対して、あんまりに先輩の動作がスマートすぎたものだから反応が遅れてしまった。あともうちょっとずれてたら唇にぶつかっていた。
 確かに人気はなかったけども! まだ放課後! しかもここ学園内! なんならルーク先輩の射程圏内!
 オーバーブロットの一件からリドル先輩は少しやわらかくなったけども、恋人になってからまた変化するなんて思っていなかった。恋は人を変えるというが、まさかここまでとは。嫌な気はしないが心臓に悪い。
 寮長としてのリドル先輩はすぐ顔を真っ赤にして怒るけども、恋人としてのリドル先輩は照れることなく先程みたくこっぱずかしい事を平然とやってのける。恋人関係の状態だと、たぶん私の方が赤面していることだろう。
 どうやったら恋愛方面でリドル先輩の顔を真っ赤にさせられるのか。この調子だと一生かかっても無理そうだなあ。手っ取り早く熱を持った顔を冷やそうと中庭を通る帰宅ルートを進んでいく。
 今回の休みは錬金術の素材の暗記と動物言語学の課題終わらせよう、時間があったら教科書で魔法史の予習しておこうかな。

 ……何か忘れている気がするけど、なんだったっけ? まあ忘れるぐらいだから大したことないか。

「ノートありがとう、どうにか無事に終わらせることができたよ」
「お疲れ様です……やっぱり大変でした?」
「まあ、ね。トレイと二人がかりとはいえ、まさかあそこまで手が焼けるとは……」

 休日二日目の日が暮れかけた頃に、疲れた様子でリドル先輩はオンボロ寮を訪ねてきた。
 てっきり明日の朝に学校で返されると思っていたのだけれど、行き違いになっては困るだろうからと。その気遣いが何だかうれしかった。
 私は予想外のサプライズにびっくりしつつも、せっかく来てくれたのだから紅茶ぐらいは出すつもりで、リドル先輩を家の中へと招いたのだが……断られてしまった。
 いくら恋人でもこんな時間に女性の家にお邪魔するわけにはいかない、と。私の元いた世界からすれば、時代錯誤とも言えるその誠実さが好ましかったりする。

「寝る前に先輩の顔が見られて嬉しいです」

 良い夢が見られそう、ノートを受け取りながら私は唇を緩める。うっかり口を出た私の本心に、リドル先輩も上品に微笑んだ。
 もう少し話したい気分だけれど、地獄の勉強会で疲れているだろうから、これぐらいで切り上げよう。その分、次の休みのお茶会でゆっくり話せばいいや。
 そう思っていたら、突然何かを思いだしたかのように先輩が「そういえば」と声を上げた。

「どうしても見過ごせない間違いがあったから、勝手ながら訂正させてもらったよ」
「そうなんですね。ありがとうございます」
「卒業後に使う以上きちんと確認しておくこと。わかったね?」

 返事はもちろんハイ一択。それによろしいとリドル先輩は満足げに相づちを打った。
 幼稚園児なら、元気にお返事できました〜と褒められていただろうが、あいにく私は幼女じゃなかった。まあこの学園ってば男子校だからね、幼女いるわけないよね。幼女(概念)はわりと遭遇するけど。
 冗談はさておき、私はいかにもまずい間違いをしていたらしい。卒業してからも使うって事は……この世界からすれば一般常識レベルの話ってことでしょ。リドル先輩が添削してくれて良かったー! さすが二年のテストの難易度を爆上げした男、抜かりない。部屋に戻ったらすぐ確認しよう。

「では、そろそろボクはお暇するよ」
「あ、リドル先輩ちょっと待ってください!」

 念のため、きょろきょろと周囲を確認する。うん、人影らしい人影は無さそうだ……よし!
 朝だとジョギング中のジャックに遭遇することもあるが、こんな時間帯だとオンボロ寮の周りをうろつく人はそんなにいない。昔は度胸試しに使われてたけど、最近は私が住んでるせいでそれも無くなったようだ。
 だから今、私が懸念してるのはせいぜいツノ太郎ぐらいで。だけど彼はなんか淡く発光してるので、街灯のがの字もないこの周囲に居たら嫌でもわかる。そして今日は見当たらなかったから、おそらく大丈夫。

「何か用か……い……」

 こんな絶好のチャンスを逃してたまるか。咄嗟に思いついたそれを実行に移す。ちゅと軽いはずの音が夜のしじまにはよく響いた。先日のお返しというか……ほら、ほっぺにちゅーは外国じゃ挨拶みたいなものだし。
 だから私もそのつもりで頬を狙ったのにうっかり唇を奪う形になってしまった。歯がぶつからなかっただけ運が良かったのか。その代わり恥ずかしさは倍増である。

「おやすみなさい!!」

 目を丸くする先輩の表情はいつもより幼い。ただそれ以上は目を合わせられなかった、もうとにかくいたたまれなくて。
 別れの挨拶を決めると同時、かつてない速さでオンボロ寮へと走り去る。めちゃくちゃ失礼な真似をしてるのはわかってるけど、あんな事をしでかして堂々としていられるほど私の心臓は強くない。
 自室へと駆け込んで一息吐く。グリムはまだマジフト部で楽しんでいるのか帰ってきていなかった。あの腹ぺこ魔神のことだ、お腹が空いたら戻ってくることだろう。
 夕食の仕込みを始める前にひとまずリドル先輩が修正してくれた部分を確認しよう。手に持っていたノートを机に広げて一枚ずつじっくり目を通しながらページをめくっていく。
 使用しているページの最後にかかったところでそれは見つかった。赤ペンで『e』と『s』が付け加えられている。隅っこの落書きに連ねるには、あまりにも贅沢なリドル先輩らしい整った文字だった。
 の後ろにある修正済みのRoseh『e』art『s』を、言われた通りしっかり確認する。

「なるほどローズハートってこう書…………あ」

 ——卒業『後』に使う以上きちんと確認しておくこと。わかったね?

 せっかく冷めたはずの熱がまたぶり返す。さっきよりも上がっていく体温に、オーバーヒートする頭が何とか弾き出したのは、それがリドル先輩の中では決定事項であるということだけだった。

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