琥珀の虫あるいは狼の腹の中
女は子育てをする関係で男性と比べて視線に敏感なものらしい。おなかの子や幼子を守る為に、危険を察知する能力に長けていなければならないからと。
あと悲しいかな、私は実感したことがないが……巨乳の友人曰く、男性が思ってるより胸へのエロい目はわかるらしい。ただこれに関してはなんとなくわかる。
だってスケベ目的の男なんて危険物以外の何物でもないので警戒されても仕方ないだろう。
なんでこんな事を急に思い出したかと言えば。
「あの、ジャック。私の顔に何か付いてる?」
「なんだ急に」
「いや、なんかものすごく私の顔見てるから……」
「気のせいだろ」
そう言いながらサンドイッチを頬張る私からジャックは視線を外さない。台詞と行動があってねえ。まさか無意識なんだろうか。
ここ最近のジャックはずっとこんな調子だ。ことある毎に私を見ている。
困ったことに私の気のせいではない、だっていつもの昼ごはんのメンバーであるエース達だって指摘してたし。なんなら、めちゃくちゃ気になって食事どころじゃない!と私達を追い出すぐらいに彼の視線はあからさまだったのだ。
ジャックは訳がわからないという顔をしつつも、中庭に移動する間もやっぱり私をずっと見てたし、今だってこの通り。
彼の目は明るい色のせいで視線の動きがつぶさに見える上、ついでに私を見てる時は瞳孔が開いてるせいでかなりわかりやすい。
いったいなんだというのか。ここまで来るとさすがに……にぶいと言われている私でも気付く。
ただ私へちょっかいをかけてくる奴とは違って、ジャックの視線には悪意があるようとは思えない。嫌な感じはしないが、なんだかこそばゆいのだ。
目は口ほどに物を言う、目は心の鏡なんて言葉もあるが、あいにく私は彼の視線の意味が読み取れない。だってこんな視線、今まで他の誰にも向けられた事がない。
彼の困ったところはもう一つ。私をこれでもかと見つめるくせ、ジャックは瞳を覗き込もうとすると視線を逸らすのだ。理解しようにも確認させてくれない。
うーん。でも、そういえば犬にとって見つめ合う事は威嚇の意味なんだっけ。狼も同じなんだろうか。
ともあれこの件が気になって気になって、夜しかぐっすり眠れない。という訳で私は強硬手段に出ることにした。
「ジャック、悪いんだけど……」
◇
「コンポートとか初めて作ったんだけど……その様子だと口に合ったみたいだね」
「手作りなのか? 食堂のやつと変わらねえ位うまかったぜ」
自分だと届かない場所の雨漏りを直してほしい、お礼に梨のコンポート用意してあるから。その誘い文句で、放課後ジャックをオンボロ寮へ呼ぶことに成功した。
エーデュースとか他のメンバーと一緒なら来てくれるが、彼単体でオンボロ寮に来ることはまずない。だからいくら最高の交渉道具を持っているとは言え、断られる可能性も考えていたのだけれど……。今までは何だったんだと思うほど、あっさり彼は了承した。
こんなことならさっさと呼びつけていればよかったなあ。まあ本題は今からなんだけど。帰られたら元も子もない、食べ終わったら速攻畳みかけよう。
彼が最後の一口を含む直前に隣へと腰掛ける。この為に提供の場を食卓ではなく談話室にしたのだ。普段は私とグリムしか食事しないので、食卓の椅子じゃ向かい合って座るしかできないから。
はなから逃がすつもりはなかったけれど、意外にもジャックは一瞬ピクッと耳を動かした程度で、避ける様子もなくコンポートを口へと運ぶ。なんか……余裕だなあ。私は今にも心臓が破裂しそうなぐらい緊張してるのに。
思い切って彼の顔を両手で包み、無理矢理こっちへと向けさせる。やっぱり抵抗なく、ジャックは私の好きにさせてくれる。
というか今更だけど顔が良い。あとでお金払うべきかなって軽く悩むレベルで顔が良い。とくにジャックみたいな野性味のある顔立ちって好みなんだよなあ……。
逆におそらく美男美女しかいないであろうこの世界の人々からすれば、私なんぞ芋か石ころみたいなものだろう。つらい。
気を取り直し、腹を割って話すためにもしっかりジャックの目を見る。先輩方のようにユニーク魔法なんて持ち合わせていないが、これこそ人と話す時の常識というか基本なのだから。
ばち、と彼の金色と視線がかち合う。その瞬間、私は祖父が大事にしていた虫入りの琥珀を思い出した。幼い頃の私は蜂蜜のようなその色合いを気に入って何度も見せてもらっていたのだけど。
その最中で教えてもらったのだ、殆どの狼がその色を持つために琥珀色の瞳のことを『狼の目』と呼ぶのだと。
「……今更なんだけど、イヌ科の動物にとっては目を合わせるのは威嚇の意味なんだよね。ジャックも目を見られるの嫌だったりする?」
「問題ねえよ。そもそも狼は群れの仲間と目で語り合うようにできてる、俺達の目は視線がわかりやすいからな」
「確かに金色だと瞳孔目立つもんね」
過去の記憶により、ちょっとした懐かしさと、実物に出会えた感動から密かに震える。
そしてまた一つ賢くなった。実は前々より私はちょくちょくジャックから色んな獣人の生態について教えてもらっている。世界も種族も違う、つまり常識が違う。私の何気ない振る舞いが彼らにとってのタブーかもしれないから。無意識だとしても誰かを傷つけたりしたくないし、特にジャックには嫌われたくなかったのだ。
「それに犬だって同種はともかく人間相手にはアイコンタクト取るだろ」
彼から投げかけられた言葉に、ふと近所の飼い犬の姿が頭をよぎった。そういえばあの子、めちゃくちゃ他の犬には喧嘩売るけど、私には『おやつちょうだい! かまって! あそんで!』と目で訴えかけてきてたなあ。犬ってこんなに表情豊かなのかと驚いた覚えがある。
そんな微笑ましい思い出に「わんちゃんって欲しい物には正直だよね」と感想を添えてジャックに報告する。ちゃんと貴方の話を聞いてましたよ、そう伝えるために。
なのに彼の反応は予想しているものと違った。私の言葉にジャックは目を見開いていて、その様はどう見ても驚いているようにしか見えない。私そんなに変な事を言っただろうか。それからジャックは何やら難しい顔をして。
「…………ああ、そういうことか」
何が?と尋ねる間もなく手首に違和感が。どうしてかジャックが私の手首を掴んでいた。いっさい動かないところからして、引き剥がそうとしているわけではないらしい。
じっとまた私の顔をジャックは眺めていた。さっきの呟きからして何か納得したみたいだけど……尋ねていいものなんだろうか。迷っている間にジャックの方から切り出した。
「気のせいじゃなかった」
「え? 何が?」
「俺がお前を見ているって話してただろ。本能だから今まで自覚してなかったが……やっとわかった」
わざわざ引っ張られたわけじゃない。ただジャックが後ろへと倒れ込んだせいで、手首を掴まれたままの私は自然と引き寄せられて。気付けばジャックに跨がり覆い被さるような体勢になっていた。全身で二人分の体重をかけられて、ソファが危ない音を立てて軋む。
体勢からすればこちら方が圧倒的に有利なはずなのに、彼の手が作る枷に私は一切身動きが取れない。それに打って変わった鋭い眼差しに体がすくむ。
かぱ、とジャックが口を大きく開く。血のように赤い舌と覗く牙の鋭さは恐怖でしかない。いつのまにか手首から離れた腕は私の背中へと回って体を押さえつけていた。
おかげでかなりの至近距離にジャックの顔がある訳だが、現状で堪能する余裕はさすがになかった。なにせ今、私の頭を占めていたのは、以前彼から教えてもらった狼の生態が凄い勢いで駆け巡っている。
弱い個体を狙うこと、縄張り意識が強いこと、求愛行動、狩りにおいて七時間以上獲物を追うこと、なんかおかしなものが混ざったけど、おおよそ必要な情報は引き出せた。
それらと彼の一連の言動より弾き出された答えは、私は知らぬうちに彼の狩猟本能を目覚めさせていたのだろうと。
改めて言うまでもなく私は学園じゃあ最弱だし、ジャックの傍は安心できるからとパーソナルスペース考えずに近寄ってたし、知らず知らずのうちに彼の機嫌を損ねて獲物判定食らっててもおかしくない。ジャックの性格からして弱い者いじめは好まない気がするけど、それでも我慢ならないところまで来ていたのかもしれない。
「ごめ……んっ?」
今更過ぎると思いつつも謝ろうとした私の鼻をジャックが甘噛みする。てっきり喉にガブリと、痛い目に合うのだとばかり思い込んでいた私はハテナマークを浮かべるほかない。
彼の胸に付いてる手でその口を突っぱねることも考えたが、ちらりと見えた牙の鋭さにそれは躊躇われて。
そうこうしているうちに今度は頬を緩く噛みつかれる。痛くはない、けど混乱は深まっていくばかりだ。
狼が顔を噛む……と言えば元の世界にいた頃、狼が別の狼の顔を咥えてる写真を見たことがある。あれってなんだっけ。確かジャックにその写真について話した時、教えてもらったはずなんだけど。
がぶり。
——おばあさんのお口はどうしてそんなに大きいの?
幼い頃、幾度となく読み上げてもらった懐かしのフレーズが頭をよぎる。そのくらい私の唇を覆うジャックの口は大きかった。音にするとそんな感じのそれはやっぱり痛みはないけど食べられてるみたいで。
待って、待って、これってもしかしなくても。離れ間際に音を立てるように唇を吸われた上に舐められる。
もう手遅れなのに濡れた唇を手で覆う。ならば今度は指を噛まれた。これまで彼の視線の意味はわからなかったけど、今回ばかりは理解した。どけろ、そう険しい目で訴えてくるジャック。「これはまだ教えてなかったな」荒い呼吸の彼が口を開く。
「狼の雄は惚れた雌を追っかけ回すんだ。番になる日まで、数週間でも、数ヶ月でも」
やっと思い知る。彼は狼として伝えてきて、けど私が気付かないから人としても表していただけなのだ。
狼の目に私の姿が収まる。金色に覆われたあげく、彼の腕に押さえ込まれて抜け出すことはできそうにない。そんな中、先程からしつこく続けられている愛情表現を装った無言の追求に耐えかね、薄い歯形だらけの手を私は口元から外した。
こまる、すごく困る。だってこんな突然すぎるのに嫌じゃない。それどころか。
ぐわ、とジャックが牙をむき出しにする。さっきまで怖くてたまらなかったのに、思い知らされた今じゃ丸っきり違って見える。だから言葉にできない気持ちの代わりにかぷと軽く彼の顔を噛む。
ここまでしておきながら、こんなにも早く捕まると思っていなかったらしい。じわと赤くなりつつも、ジャックはもう一度私の唇へと噛みついた。