陸の小エビのウツボに染まぬ風情
「小エビちゃんってもしかして湖の魚だったりする?」
「そもそも魚じゃないですね」
アズール先輩のオーバーブロット事件、もといイソギンチャク大量発生の一件が終わってからというものの、私はフロイド先輩に妙に懐かれていた。
廊下で、食堂で、購買で、出会うたび薄情な相棒や友人達は速攻逃げだし一人絡まれ、最初こそビビリまくっていたけども回数を重ねれば慣れてしまうもので。
いつまでもビクビクしてるのもアホらしいし、こっちの世界に来てから場数を踏んだことで自分でも思っていたより胆が太くなっていたらしい。あと普段の荒っぽい彼の言動を知っていたからこそ気付いたのだが、私に対するフロイド先輩が見るからに好意的だったのもあるだろう。
基本的に人間は自分に優しくしてくれる人には懐くものだ。最初の印象が悪かったのも結果的に良い方向に転んだのだろう、いわゆる少女漫画でありがちな雨の日に捨て犬を拾う不良目撃現象ってやつだ。正式名称は知らない。
そんなわけで今も図書室で勉強していたところ、あの甘い声で呼ばれた私は背後から抱きしめられている。体勢的に背を丸めているのだろう。頭の上に顎が乗せられ、逞しい腕に包み込まれている。ガッチリホールドされているせいで振り払うどころかノートにペンを走らせることもできない。
「フロイド先輩その体勢つらくないですか、隣座ります?」
「そもそもオレ、湖の魚とか知らないんだけど」
ささる顎が地味に痛くて提案したが完全スルーされた。私の頭は顎置きじゃないんですが。訴えたところで無駄だとわかっているのでそれ以上は口を噤んだ。
場所が場所なので私はできる限り声量を抑えているけれど、フロイド先輩はもちろんお構いなし。心なしか私に絡んでいる時のフロイド先輩は声が大きいので余計に気がかりだ。あのギザギザの歯が全部見えるくらい口を開けているので、自然とそうなってしまうのだろう。まあそれでもセベクと比べたらマシだけど。
といった訳で私達は明らかにマナー違反なわけだが、リーチ兄弟のやばい方と呼ばれているフロイド先輩へわざわざ注意してくる命知らずなど滅多にいない。それどころか、彼が絡んでくるまで傍に座っていた利用者すら遠巻きに見ている。
この状態に切り込める人物は私が知る限り、リドル先輩ぐらいだろう。だがあいにく彼は何でもない日のパーティにより不在だった。
「湖の魚が気になるんですか?」
フロイド先輩が突拍子も無いことを言い出すのは今に始まったことではない。けれど思いつく限りの話題を振ってみる。飽き性なフロイド先輩のことだから、彼の中では既に終わった話題かもしれない。
でも私の話はわりと聞いてくれるので、やるだけの価値はあるだろう。にしても何が良くて何がダメなのか、本当わからないんだよなあ……。
興味ないだろうに私が最近気になってる購買のバレッタについてや、新しく挑戦した料理が上手くいって嬉しかったといったオチのない報告はニコニコ聞いてくれるのに、エースとやった笑えるバカ話とかイデア先輩に教えてもらった面白いゲームの話は不機嫌になるし。
「んー? いや小エビちゃんが湖の魚だったらヤダなぁって」
「陸の人間なので心配無用ですけど……なんで嫌なんですか? あとせっかくなら顔見てお話したいです」
いいかげん首が限界だったので再度促してみたところ、フロイド先輩はあっさり私から離れて隣に腰掛ける。
ナイトレイブンカレッジに通う生徒は外見が合格基準じゃないの?って聞きたくなるくらいにはみんな顔面偏差値高いし、ついでに足も長い。
学校の椅子は生徒の平均的な体格に合わせているのだろう。そのせいか、私だと足が宙ぶらりんになるが、フロイド先輩が座るとぴったりで。足を組む姿も実に様になる。
「湖の魚とオレらはぜーったい相容れねーもん。だけど小エビちゃんは人間なんだよね〜」
だったらいいやなんて呟きと共にフロイド先輩は私の顎を持ち上げる。ズボン越しとはいえ、うっかり彼の御御足に夢中だったのが気にくわなかったのか。自ら正面に座ってくれと言いながら顔見れなくてすみません!マドルなら払いますから許してください!
「人間と人魚の話はよくあるしなぁ」
「そうですね。私のいた世界でもそういった物語いっぱいありますし……人気なんでしょうね」
「小エビちゃんは好き?」
「うーん……私が知ってる限り、人魚の物語って悲しい話ばっかりなんですよね。だから正直あんまり好きじゃないです」
人魚姫に始まり、八百比丘尼伝説、赤い蝋燭と人魚しかり、人魚が何したんや!っていうような話が多い。特に人魚姫に関しては当時幼女だった私はガチ泣きした。王子を恩知らず!とか罵ったりもした。
だからこっちの世界でハッピーエンドの人魚姫を見つけた時はガッツポーズしたし、なんなら恋愛物がどれを見ても幸せな終わり方をしてくれるので、勉強以外でもよく図書室を利用してたり。希望を持てるって大事なことだもん。
「……小エビちゃんのいじわる」
「えっ」
私がぼんやり回想していたところ、両頬をフロイド先輩の手でぎゅっと押された。それで我に返った私の目の前にはむくれたフロイド先輩の顔があって。美形はそんな顔でも絵になるんだなと場違いなことを考える。顔が近いことに対する現実逃避とも言う。
またしても私はやってしまったらしい。それにしても何が彼の癪に障ったのだろう……嫌われないようにしたいのに。
「帰る」
「あっ、はい。じゃあフロイド先輩、また明日」
「……小エビちゃんのそういうとこ、ホンットずるい! じゃあね!」
バタバタと大きな足音を立ててフロイド先輩は去って行く。彼の後ろ姿が見えなくなるまで手を振って、私は再び机に向かう。けどノートに書き込むどころか、耐えきれずその上に突っ伏した。
明らかに不審人物だからなんだろう、ジロジロ不躾な視線を感じるがそれどころじゃない。心の中だけにする、静かに騒ぐから大目に見てほしい。
こんなに人の心をかき乱すくせに、ずるいのはどっちなんだか。誰にも見えないよう腕で隠した顔が熱い、悶えるあまり机の下でじたばたと足を動かす。今回もなんとか我慢できたけど次もこの調子を保てるんだろうか。
鼻へ寄せた腕から感じるフロイド先輩の匂いに胸がきゅうとなる。きっとまたグリムに磯臭いとか言われるんだろう、でも私にとっては何にも代えがたい香りで。それに包まれてる私の身にもなってほしい。
「……フロイド先輩のばか」
ドキドキしすぎてきっと今夜も眠れない。だから文句の一つくらい零したって許されるだろう。
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