あの時も飽きたと告げながら微笑んでいましたよ
「小エビちゃんと恋人でいるの飽きたんだよね」
私の腕から落ちた本がバサバサと音を立てる。
創作の中で何度も見てきた光景だが、あれはかなり現実に基づいているんだなと当事者のくせ他人事のように思う。
盗み聞きをするつもりはなかった。
ただモストロラウンジでのバイトが終わった後、アズール先輩に今日は早上がりしていたフロイド先輩へ本を届けるよう頼まれたのだ。
それで彼の部屋を尋ねたのだが、ドアの前に立った時なにやら話し声が聞こえてきたから会話が途切れるのを待った方がいいだろうと佇んで。
場所と声と話しぶりからしてお相手はジェイド先輩かな、なんて思った直後にその言葉を先輩が発していたのだ。
音を立ててしまった以上、先輩は私の存在に気付いてしまっただろう。
本を拾うことすらせずに、私は先輩がドアを開ける前に急いでその場から逃げ出す。
どくどく心臓が嫌な音を立てていた。既に視界がぼやけ始めてる。
絶対にこんな姿を見せてはいけない、先輩にこの情けない顔を見られたくない。
「小エビちゃん?! って、あぶなッ」
落としたままの本が足止めの役割を担ってくれたらしい。
廊下を曲がりきる直前、ドアが開いて先輩が叫んでいたが私は振り返らなかった。
——振り返れなかった。
フロイド先輩から告白され、付き合い始めて早一年。
先輩に想いを寄せてはいたものの、彼の飽き性を考えれば成就させるのは得策ではないだろう。
そう思っていたくせ、私は彼の告白にうっかり頷いてしまっていて。
受けてしまったものはしょうがないと開き直り、撤回することはなかった。
ただ傷つきたくなくて常に先輩から別れを切り出される想像をしながら、日々過ごしてきた。
でもそんな不安とは裏腹に先輩はいつも私に優しくて、ストレートに愛情を伝えてきてくれて。
だから先輩は本当に私の事を好きでいてくれているのだと期待して、どんどん先輩のことを更に好きになって、私の想いはもう後戻りできない所まで膨れてしまっていた。
愛されてるという自信から防御策を取っ払って、先輩の恋人であると、やっと本当の意味で受け入れられた。そう考えていた矢先にこれだ。
本当は見ないふりをしていただけで前兆はあったのだ。
ここのところ、私と居る時の先輩はなんだか上の空で、いつも以上に落ち着きがなくて。
でも私を見る時の視線は以前と変わらず熱いままだから大丈夫だと自分に言い聞かせてしまっていた。
そんな自分を本当にバカな奴だなと自嘲しながら抱えた膝へと顔を埋める。
とにかく逃げなきゃと鏡も越えて、でもオンボロ寮じゃ乗り込まれてしまうかもしれないと咄嗟に私は校舎の方へと足を向けていた。
そうしてがむしゃらに走り抜けて辿り着いたのは中庭の片隅。
元々目立たない場所で、夜という時間も手伝って人気は全くない。
早く帰らないとグリムが心配する、わかってるのに私はその場から動けなかった。
「う゛ぅ」
ここには私以外、誰も居ない。そう実感した途端、ぼろぼろと涙が溢れ出た。
かろうじて声は押し殺したけども、本当は大声で泣き叫びたかった。
フロイド先輩のばか、私は先輩のこと大好きなのに。そうなりふり構わず負け惜しみを口にしてしまいたかった。
だけど私の口から出ていくのは意味の無い嗚咽ばかり。
胸が痛い。辛くて悲しくて苦しい、なのに私は今も先輩が好きで。先輩を好きになったことを全く後悔していない。
幻滅してしまえば、あるいは諦めてしまえば確実に楽になれると気付いてるのに、私はやっぱり先輩を嫌いになれなかった。
「小エビちゃん、いた!!」
背後から聞こえた大声にびくりと体が跳ねる。
おそるおそる振り返れば、全力疾走してきたのか、ぜーはーと肩で息をする先輩が立っていた。
そして先輩は私の姿を視界に捕らえた途端、目を丸くしていた。
「えっ、なんで小エビちゃん泣いてんの……?」
どうしたの?と尋ねてくる先輩の声は飽きた女に向けるには優しすぎた。
だから私は先輩の胸に飛び込んで、ぎゅっと彼の背中に腕を回してしまう。
奇行をとる私に先輩は戸惑っていたようだが、しばらくして先輩は私の体を抱き返した。
それにどうしてと思っても聞き返す勇気は今の私には存在していない。
「私、先輩が好きです。フロイド先輩が好きなんです。先輩の為なら元の世界も陸での生活も捨ててもいい、そのぐらい先輩のこと愛してます。だから、先輩の恋人、やめたくない……悪いところ、全部直すから、嫌いにならないで……」
こんな事言ったって困らせるだけだ。
なのに私の口も体もみっともなく先輩に縋り付いてしまう。
ぐずぐず私が胸の中で泣きわめくせいで先輩の寮服が濡れていく。
でも先輩はそれを咎めない。それどころか宥めるかのように私の背を撫でて。
どうして捨てた女へそんなに優しくするのかわからなくて、頭の中がめちゃくちゃになっていく。
期待してしまうから止めてほしいのに、もっと触れてほしいと思う私が二律背反していた。
「恋人やめるってどういうこと……? オレ、小エビちゃんと別れるなんて絶対やだよ!?」
「私だって嫌です! ……でも先輩、私と恋人でいるの、飽きたって」
聞いた事実を紡ぐ声が震える。
これが聞き間違えならどれほど良かっただろう。
だけども私はしっかりこの耳で彼の恋の終わりを聞いてしまったのだ。
締め付けられる心に連動するかのよう、ぎゅうと先輩を抱く腕につい力が籠もる。
それに先輩は「小エビちゃん、いったん腕下ろして」と返してきた。
無理に引き剥がすこともできただろうにお願いしてくるということはまだその位の情は残っているのだろうか。本当は嫌だけれど、これ以上嫌われたくなくてしぶしぶ身を離す。
惜しみながら距離を置いたなら、先輩はなにやら自身の懐を漁り始めた。
そうして取り出した小箱の蓋を開けて、先輩は私へ中身を見せつけるようにして差し出す。
「小エビちゃん、オレと結婚してください」
月明かりを反射して輝く銀色。
暗闇のせいではっきりとは分からないけれど、おそらくそこへ埋め込まれた石は先輩の右目と同じ色をしているのだろう。
状況が理解できず、ぽかんとしている私の左手を取って、迷わず薬指に先輩はその指輪をはめる。
箱の中から私の指に移ってもなお、銀色も金色ともども美しく輝いていた。
先輩と無意識に口にした声はやはり震えてる、でもそれは先程とは異なり希望に満ちていて。
「恋人でいるのが飽きちゃうぐらい、ううん我慢できなくなるぐらい好きだよ。だからオレのお嫁さんになって、小エビちゃん」
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