百点満点の答えを教えてあげる

 勉強は好きだったし、得意だった。
 だけど、やっとの思いで手にした夢を二度と届かない場所まで取り上げられ、もう一度頑張れるほど私は強くなかった。なんともくだらない。ただ、それだけのこと。

 詳しい経緯はわからないが、上手く学園長を言いくるめたらしいフェローさん達がNRCに通うようになった。
 特例は一箇所にまとめておいた方がいいかな?ぐらいの軽い気持ちだっただろう学園長により、彼らはオンボロ寮に配属されて。
 おかげで寮生が増えたことを理由に、学園長から経費の増額をむしり取れたので私はホクホクしている。
 最初の頃こそ言われるまま不遇を受け入れていたが、スカラビア監禁事件で無視されたことをきっかけに遠慮はしないことに決めた。使える手札は全て活用しろ、フリーランスを続けていく上での鉄則だ。
 ……必死で覚えた経験則を怠慢のために使う自分には軽蔑しかない。

 ともあれ選定理由はともかく学園長の判断は最適解だろう。
 一応レイバッパ退職のおかげでチャラにはならずとも手加減してくれると思うが、他の寮は被害者が被害者なので、それぞれ理由は異なるが二人の身が危ない。断言していい。
 あと幸いオンボロ寮は部屋は余ってる(それでも広いと落ち着かないと二人で小さな一部屋を希望された)し、寮独自の規則や催しがないので途中入学でも過ごしやすいだろうなと。
 私の場合は留学だから微妙に異なるけれど、新しい学校生活というのは勉強面だけでなく日常面でも馴染むのに時間がかかる。彼らの場合、特殊な条件だからなおさら。

 共に授業を受けるようになってわかったのだが、フェローさんは意外にも勉強に意欲的だった。
 いや別に意外でもないか。フェローさんからすれば、酸っぱいブドウ理論で学校をこき下ろしていたとはいえ、本当は学校通いたかったわけだし。
 夢の為にも少しでも知識を学びたいのだろう。休み時間や放課後も熱心に努める姿にかつての自分が重なる。
 そんなフェローさんの姿勢は二度目の学生生活を適当に過ごすようになってしまった私には眩しくて。頑張る彼を見たくない気持ちと、憧れ眺めていたい気持ちが両立していた。

『……何が言いたいんだかさっぱりわからん』

 随分遅くまで机に向かっていたみたいだから、彼らの部屋へ夜食を届けに行った時の事だ。ギデルくんを起こさない為だろう。最低限のテーブルランプの明かりの下、教科書を手にしていた彼がそうぼやいていたのを私は聞いてしまった。
 フェローさんは独学でよく頑張っている。でもその努力の成果が出ているかと言えば、答えは否だ。
 彼は授業の内容が理解できない。だからせめて教科書で学ぼうとしても、それすらも読み解けない。当たり前だ、ここはおおよそ十五歳で招かれる名門校。
 つまり基本的にミドルスクールまでの教育課程を経た前提でカリキュラムが組まれているのだ。ハイスクール以降の国語や数学といった一般科目は応用が殆ど。学び方に至っては子供の頃から授業を通して身に付けていくものだ。
 魔法に関しては「どうせ元々のセンスで使えているが原理すらわかってないだろ(自分もそうだったし)」という教師陣の予想から、懇切丁寧に教えてもらえる。
 でもそれすらもフェローさん達は途中から。一番最初の大事な部分が抜けてしまっている。
 このままではきっと、彼は夢を追いかけるどころではなくなってしまうだろう。彼の挫折はどうにも見たくなくて、だから。

「お前さんが俺に勉強を教えるって? いったい、どういう風の吹き回しで」
「正直なところフェローさん、授業全く付いていけてませんよね?」
「……まあ直に追いつくさ」
「無理です。ここからは更に難しくなる一方ですから」

 グリムとギデルくんが寝入ったのを見計らって、私はフェローさんにその提案を持ちかけた。
 断言する私にフェローさんは半信半疑といった様子。私の表情は嘘を言っているように見えない。でも自分より年若い小娘がこれから先の授業内容を知ってるとは考えにくい、といったところだろう。
 なので信憑性を持たせる為にも自分の事情を開示する。魔力はおろか魔法すらない異世界の出身であること、こっちの世界に来たさいに十歳ほど若返っており元々は彼と同い年の社会人であったこと。通っていた難関校とNRCだが、わりと授業傾向が似ていること。家庭教師のバイト経験があり、今もグリムやデュース相手に勉強を教えたりしていること。
 フェローさんには魔力が全くないことこそ知らせていたが、他の情報は殆どの人が知らない。肝心の彼は私から一気に情報を与えられてあっぷあっぷしているようだった。
 必死で情報を脳内で整理しているだろう彼に、少し喋りすぎたかと反省する。でも今後の事を考えたら、きっと必要だったに違いない。

「まずフェローさんの学力がどの程度か確認しましょう。おそらく生活していく上で身に付いた知識もあると思うので、少しでも早く追いつく為にも省けるところは省く。足りない基礎を固めるのが、今のフェローさんに必要な勉強です」
「……お前さんは俺が名門校のお坊ちゃん達に追いつけると思ってるのか?」
「追いつくどころか、追い抜けますよ。フェローさんの話術を見てる限り、地頭は良いし、勉強に対してやる気もある。それにエリートって言っても大抵は魔法頼りの青二才の集まりです。そもそもこっちの世界の知識が一切なかった私でも今や、自分よりテストの点数低い元イソギンチャクに『異世界0才のノーマジより成績悪いって、ねえどんな気持ち?? ねえねえどんな気持ち??』って煽れてるんだから」
「元イソギンチャクが何かはわかんねえが、お前さん大人しい顔して意外と良い性格してるな」

 自分の事を舐め腐っている相手にそれ相応の態度をしているだけだ。
 私は仕事柄、海外との取引が多かったから自己主張の大切さを知っている。不当な扱いにはハッキリNOを示さないと相手の良いようにされてしまう。NRCでもそれは同じだから。

「実はギデルくんには先に話を通していて、彼にはグリムと一緒に情操教育を施すことも了承をもらってます」
「情操教育?」
「ざっくり言うなら、人間社会で生きていく上で必要な道徳や情緒など……人間力を学ぶ教育です」
「ほう、なんでそいつを俺にはやらないんだ?」
「これ10歳ぐらいまでの子供にやる教育なんですよ。お絵かきとか料理するとか自然と触れ合うとか、私が主に予定してるのは読み聞かせなんですけど、そこらへんフェローさん身に付いてると思うので」
「なるほど。お前さんはいらないと判断したがそっちも参加する。俺が作る学校の生徒には必要そうだからな」
「確かにそれもそうですね。じゃあ今日はもう遅いので、明日から早速始めましょうか」

 フェローさんの現状を考えれば、わらにも縋りたい気持ちだろうから断られる可能性は低いと思っていた。
 それでも了承を得られたことに胸をなで下ろす。そろそろ私も寝ようと決めたところで、彼がジッと私を見つめていることに気付いた。

「お前さんがお人好しなのは知ってるが、なんでここまで俺に親切にするんだ? 俺らはこの通り身一つで生きてきたから、返せるもんなんてありゃしねーぞ」
「……私、勉強するのが好きだったし、得意だったから」

 全く理由になってない答えを返した私はフェローさんの反応を確かめることなく「おやすみなさい」と部屋へ戻る。
 フェローさんが夢を叶えてくれたら、あの頃の私が救われた気がするの。そんな身勝手な願いは口が裂けても言えなかった。

「兵十のバカヤローなんだゾ!!」
「……! ッ……!?」
「ごん、お前さんってやつは、どうして……」

 この世界の創作物は元の世界と比べて、かなりマイルドである。
 だから前々から行っていたグリムには悪いが、三人になってからの情操教育の最初期はツイステッドワンダーランドの物語を使用していた。
 全く知識がなかったグリムはともかく、二人はこっちの世界の物語が基準になっているだろうから、そこにいきなり元の世界の作品はちょっとアクが強いかなって。
 なのでツイステッドワンダーランドの物語、元の世界の平和な物語をしばらく交互にくり返してきた。
 二人に教えるに当たって、こちらの教材はある程度、頭に叩き込んでいる。でもやはり元の世界の作品の方がストックが多い。
 随分慣れてきたし、これなら年相応の作品であれば多少残酷でもいいだろう。というわけで、最近は徐々に元の作品のみに切り替えてきて。
 そして今日は『ごんぎつね』を話したわけだが、三人ともそれぞれ違った反応を見せる。兵十への怒りを見せるグリム、まさかの結末に困惑するギデルくん、ごんに対して深い悲しみを抱くフェローさん。
 何度か見て気付いたのだが、フェローさんはわりとストレートな感情を抱くタイプみたいだ。『ずうっとずっと大好きだよ』や『泣いた赤鬼』『スーホの白い馬』『ちいちゃんのかげおくり』など嘆きっぷりが凄かった。
 今回は特に酷いけど……ああそっか、おそらくきつねの話なのでつい普段より感情移入してしまったんだろう。

「じゃあ今日もいつも通り、問題出していくね」
「お前さんは鬼か!!」

 手元にテキストは渡しているが、それでも鉄は熱いうちに打てと言うしなあ。
 聞いた直後で揺さぶられている状態の方が、いっそう解説等に耳を傾けられるだろう。と、遠慮なく進めた私の考えは間違ってなかったらしい。三人とも真剣に問題へと取り組んでいた。
 一方で恨めしそうな目で私を睨め付けていたが、私は今後の勉強に思いを馳せていたので気にとめていない。
 これまでの題材は地球の文化がわかってなくても始めに世界観を理解する為の説明があった。でも次のステップで扱う作品ぐらいからは省かれてくる。
 枕草子とか典型的な例だろう。あれは一緒に社会の授業も学んでいる前提で組み込まれてるカリキュラムだ。
 わざわざ題材外で元の世界の文化に説明を割くのはなあ。言ってしまえばこちらの世界で生きる上で無用な知識だし……今後はうまいことツイステッドワンダーランド仕様にローカライズしておくか。

「なあくん、これ見てくれ!」
「おお、フェローさん、あの先生のレポートでA取れたんだ。頑張ったんだね」

 周囲に誰もいないのを見計らい、廊下に張り出されたテスト結果を眺めていた私へフェローさんがそれを差し出してきた。
 元の世界でいうところの国語に当たる授業の担当教員は厳しいことで有名で。身分で忖度したりせず、またお世辞も全く通じない為、この評価はフェローさんが実力でもぎ取ったものだ。
 これでわりと最近までレポートの書き方もわからなかったのだから、凄まじい成長具合である。
 他の教科についてもじわじわと成績を伸ばしているが、フェローさんは特に文系が強いみたいだ。本人は算数が得意と言っていたけど、記憶力もあるので魔法史の伸び方が特に顕著だなと。
 自習の習慣も身に付いているし、この調子であれば彼が夢を掴む日も近いだろう。

「次はお前さんと同じくA+取ってやるからな」
「ふふ、負けてられないなあ」
「おっと、これこないだの結果か? ……俺の名前ねえな」
「そんな下じゃないよ、もっと上」
「嘘だろ」

 グリムも前回より成績上がってるなとか、デュースはちゃんと平均点超えてるねとか。ちょうど教えていた彼らの順位も確認していたところだ。
 中間ぐらいに記載されていた彼の名前を指し示す。下から数えていたフェローさんは目を丸くしていた。

「文系教科に至っては上から数えた方が早いよ。フェローさん、たくさん頑張ったもんね」
「テストなんて面倒だと思ってたが、こう努力した結果が目に見えるのは悪くねえな」

 これで自信が付いただろうし、これからフェローさんはどんどん勉強が楽しくなっていくだろう。
 基礎は身に付いた。応用力もある。そうなると、もう私が教える必要はないのかもしれない。
 フェローさんが嫌がったら止めないとな。そんな当たり前のことを考えていたなら、何故だか胸の辺りが痛くなる。
 心筋梗塞には早いし肋間神経痛か?と首を捻っていたなら、張り紙から私の方へフェローさんが視線を移動させる。そして心底不思議そうな顔を彼はしていて。

「お前さん、この教科以外はそれなりなんだな。教えている時の雰囲気とか、あの煽ってたって話からして、もっと上だとばかり」
「……意欲の違いかなあ。好きな教科は身が入るんだけどね」

 動揺は悟られなかっただろうか。仕事で身に付いた笑顔がうまく張り付いていることを願う。
 初めの頃は彼が予測していた通りだ。そうなるだけの努力ができていた。でも今は。
 この教科だけ保てているのは元々身に付けてきたもので何とかしのげるから。それか自分でも気付いていない微かに残った誇りのせいなのかもしれない。

「とりあえず今日はお祝いってことで、勉強はおやすみにして軽くパーティでもしようか。フェローさん好きなお酒買ってきていいよ」
「よっしゃ、お前さんはどうするんだ?」
「一応未成年だからね。ちょっと贅沢なブドウジュースぐらいにしておくよ」

「ワインじゃねーか!!」
「違う違う、ちょっと牛肉煮込む為に用意してたら偶然良い感じに発酵しちゃったブドウジュースだよ」
「さっき出してた肉料理の高そうな味はそのせいか……」

 私の手にあったジョッキから漂ったであろう香りを嗅いだ瞬間、叫ぶフェローさん。サングリアにしたから多少薄まっているとはいえ、わかるよね。でもいけしゃあしゃあと私はとぼけてみせる。
 一通りはしゃいで疲れたのか。一通りごちそうを平らげた後、グリムとギデルくんは早々に眠ってしまった。
 子供の教育に悪いので我慢していたが、もうここからは大人の時間ということで大目に見てもらおう。
 酒のあてに用意したカットフルーツをテーブルに置く。サングリア用に少々拝借したが、二人で飲む分には充分だろう。反射的にツッコミは入れたが異論はないようで。早速フェローさんはリンゴうさぎに手を伸ばしていた。
 ぐびぐびとサングリアで喉を潤していく。あーこれだよ、これ。
 バカでかいジョッキに躊躇いなく口を付ける私に、若干フェローさんは気圧されているようだった。いつもみたいに瓶から直接飲まなくてよかった。
 悪酔いを防止するためにもオレンジに手を付けて、グラスを傾けて、また果物を摘まむ。
 軽い雑談を交わしながら、ひたすら飲み食いし、お互い良い感じに酔いが回ってきた頃だった。

「そういやあ、お前さんに聞きたかったんだが」
「ん、なあに?」
「お前さん、元の世界では教師だったのか?」

 ぴた、と動きが止まってしまう。お酒飲んだの間違いだったな。全然頭回らないや。
 全く取り繕えず、おかげで私がひどく動揺していることは彼に伝わってしまっただろう。話したくない、だってきっと泣いてしまう。
 そう思っているのにフェローさんは意地悪だ。座ったままのくせ、彼は私に見せつけるように器用にぐるんとステッキを回す。
 私は魔法に逆らえない。だから絶対に話したくないと思っていたのに、気付いた時には話したって大丈夫と思わされていた。

「わたし、翻訳家だったの」
「翻訳家?」
「うん、児童書の翻訳家。そう言っても、わかんないよね。こっちの世界にはない職業だもん」

 日本において翻訳を生業とする者の中でも1割しか就けない職。それが私の長年の夢であり、心の大きな支えだった。
 子供の時からずっと憧れて、その為に人一倍勉強してきた。といっても机に向かっているだけじゃダメで。
 言語能力の他にも、翻訳対象の文化や習慣を徹底的に調べたり知識を得なければならない。フリーランスだったから、スケジュールや財務管理も求められたし、仕事を得る為のコミュニケーション能力だって必要だ。
 出版や映像を担う翻訳家ではなく、産業翻訳つまり医療関係の論文や金融レポートといった実務的な翻訳を行う翻訳者ならここまで苦労しない。翻訳会社に務めたり、専門職として大企業からも引く手あまたなのだから。
 でも私がなりたかったのは、幼い私に海の向かうからやってきたあの作品を素晴らしいものだと気付かせてくれた、その人だったから。
 翻訳学校や留学先で手にしたコネを存分に使って、得たチャンスは実力で納得させて次を呼び込んで、そうやって憧れを手にして数年後。
 ——私は気付けば夢を叶える前の姿に、世界ごと変えられていた。

 それでも若返った肉体と、一度は夢を掴んだ経験からか。前向きだった私はこの世界でも翻訳家を目指した。
 勉強は好きだし得意だ。新しいことを知るのはすごく楽しい。だからたくさん勉強して……知識を得たことで壁にぶつかった。
 この世界の人間社会で使われている言語は多少の方言の違いはあれど、ほぼ一つだけなのだ。
 一応、翻訳魔法というものはあるが、それは殆ど動物言語に使われているだけ。動物言語は多数あれど、獣は物語を記さない。だから翻訳家という職業は存在せず、あくまで翻訳魔法が使える魔法士という扱いで。
 でも人魚や妖精達は違う。彼らは独自の言語を用いって各々で文化を築いている。だから彼らの間だけで伝わる物語もあるはず。
 そうして抱いた希望はあっけなく砕け散った。私の予想は当たっていた。だから彼らの言語が知ることができたなら翻訳できたのだ。できるはずだったのだ。ポイントカードを使えばアズール先輩が、何もなくても友達であるツノ太郎が教えてくれるのだから。
 でも私には彼らの言語が全く認識できなかった。理解できないんじゃない、見ようが聞こうがそもそも頭に残らないのだ。……魔力がない、から。
 理由を知った瞬間、それまで意気込んでいたのが嘘のように私の心はあっけなく折れてしまった。

「それから勉強するの嫌になっちゃって。でもフェローさんが頑張ってるの見たら、自分も頑張ろうって気持ちになってきてたんだ」

 フェローさんの魔法は少しばかり楽観的な気持ちにさせるだけ。決して自白させる効果なんてない。それなのにぺらぺらと私の口は隠し続けていた傷を吐き続ける。
 本当は誰かに聞いてほしかったのか。なんで? こんな話、困らせるだけじゃない。
 そしてやっぱり私は涙ぐんでしまった。余計に面倒くさくなってしまった、もうやめたいのに自分じゃ止められない。

「だけどもう、わからなくなっちゃった。どうやって頑張ればいいんだろう。私、どうやって頑張ってたんだろう。頑張りたいのに、頑張れなくて」
「お前さんが迷う理由だが『何の為に』頑張ればいいのか、わからないんじゃないか?」
「……そうだね。その通り、かも」

 めちゃくちゃなことを言ってるのにフェローさんは的確に読み取る。誰かを騙す生活を続けてきたからなんだろう、彼は他者の感情に対して敏感だ。それを指摘できるのは勉強によって言語化する力も身に付けたからなんだろう。
 泣きわめくのを我慢しているせいか、今の私の笑い顔はこれまでになくみっともないだろうな。そう感じながらもぎこちなく唇の端を上げることしかできない。
 私の話を聞いていた彼は俯いていた、そりゃそうなるだろう。こんなどうしようもない吐露を聞かされるなんて、いい迷惑だ。謝ろうとしたその時、パッとフェローさんは顔を上げる……満面の笑みを携えながら。

「ファーハッハ! お前さんは頭がいいくせに意外とおばかさんだな。お前もそう思わないか、ギデル……あっ寝てるか」

 突然の高笑いにぽかんとしてしまう。続けてぐりぐりと頭を強く撫でられた。ちょ、はげるはげる。

「お前さん、既にその翻訳家とやらをやってるじゃねえか」
「え、どういうこと」
「俺達の情操教育に使ってる物語さ」

 最近になって元の世界の物語が出てこない、こっちの文化に沿った作品しかないことをフェローさんは不思議に感じていたらしい。
 でも調べても、私が最近話してる物語は一つも存在していなかった。そういえば調べた対象には私の世界の文化こそ出てこないが、独特の雰囲気はある。
 そこで彼は私が元の世界の物語をローカライズしていることに気付いていたらしい。

「お前さんの夢は『幼い私に海の向かうからやってきたあの作品を素晴らしいものだと気付かせてくれた存在になること』なんだろう? お前さんは『情緒が子供だった俺ら』に『違う世界からやってきた作品』を素晴らしいもんだと教えてくれた。ほら、もっとスケールのでかいことしてるじゃねえか!」

 えーっと、あーいうのってなんだ? あ、そうだ。翻案! 翻案小説としてこの世界に広めてみればいい。カリムくん辺りに話を持ちかけてみればどうだ? 彼は人が良いし、確かすごい商人様なんだろう?
 そんな風にフェローさんは続けていたけど、私はそれどころじゃなかった。ぼろぼろと尋常じゃない勢いで涙が落ちていく。
 人のことを確実に泣かせに来ておいて、ぎょっとしているフェローさん。最近は言わなくなってたけど、以前はこれまでたくさんの女を泣かせてきたと豪語していたくせにあたふたしている。そのせいでギデルくんがこっそり教えてくれた、本当のところはめっちゃフラれまくってるって話に真実味が帯びてしまった。
 しばらくして、ぺっと彼はステッキを床に放り投げる。大事な商売道具じゃないの? そう思ってる私を彼は抱きしめた。どうやら胸を貸してくれるつもりらしい。
 だったら遠慮なく甘えてしまおう。そしてまた彼らにたくさん教えていく。ただこれまでとは違って胸には夢があって。だから、もう大丈夫。
 フェローさん、ありがとう。私、また頑張れるよ。ただ今までの夢は叶ってるって気付かせてくれたから、新しい夢の為に頑張ろう。今度は、貴方の隣に立てるよう頑張るね。

「……やる気って大事なんだな」
「うん、勉強に一番必要なものだよ。やる気のない奴に勉強教えるほど無意味なことはない」

 あのクソガキげふんげふん、過去に担当した生徒を思い出してしまった私はきっと死んだ目をしていることだろう。
 号泣酒盛りから少し経ってから行われた試験結果を、また私はフェローさんと二人で眺めていた。
 彼の発言は前回より圧倒的上位へと繰り上がった私の名前を見た感想だろう。まあこれぐらいはできないと今度の夢も難しいかなって。

「私の実力こんな感じなんだけど、フェローさん的に必要な人材になれそうかな? ちなみに他にもプレゼンできるけど」
「ほうほう……いやもう元より大歓迎なんだが。ちなみに他っていうのは」
「財務管理も得意だよ。請求書の処理とか帳簿付けとか確定申告とか」
「採用」
「やった。フェローさん、そういうの苦手だもんね。でもお金周りのことは一応最低限は知っといた方がいいよ。わかってないと一方的に食い物にされるから。今度教えてあげるね」
「……お前さんが、そう言うなら」

 全然乗り気じゃないんだろう。すごい渋い顔してるし、耳も尻尾もぺたーってなってる。でも言質は取ったので容赦はしない。
 別に、捨てようとしていたとはいえボンッキュッボンなお姉さんのエロ本を持っていたことへの腹いせではない、決して。だってその方が都合良いし。

「フェローさんって確かボンッキュッボンのグラマーな人がタイプなんだよね」
「なんだいきなり?! ま、まあ否定はしねえが……今は違うというか」
「ここで問題です。なんで私はこっちの世界に来た時、10歳若返ったってわかったんでしょう?」
「は? そりゃあ、その時の姿になってたからだろう?」
「うん。半分正解。もうちょっとしたらわかるから、楽しみにしててね」

 私の突拍子もない質問二連続に「ああ……?」とフェローさんは戸惑っていた。
 今のちんちくりんの私では到底、彼を意識させることは難しいだろう。難しいじゃ見通しが甘いな、不可能だ。中身だけが老けてるガキンチョ程度の認識に違いない。
 男の人は若い女が好き、っていうのは生物的には一般的だけども限度がある。フェローさんはそこらへんの感覚が普通だからな。よっぽどのことがない限り、十も歳の離れた女に心惹かれることはないだろう。

 話は変わるが、元の世界でこの時期の私は勉強漬けで不摂生な生活を送っていた。一時期食事は足りていなかったといえ、すぐに改善したし、こっちに来てからの方が睡眠時間は長くなってるだろう。だが数ヶ月間確認したが、伸びた身長は全く変わらなかった。
 ということはおそらく成長具合は変化しないと踏んでいる。とはいえ何か反動があるかもしれないので、バカ食いをくり返すとかの無茶はしないけども。

 またまた話が飛ぶが、高校の二年に進級する辺りから私は急激にモテ始めた。
 でも私は翻訳家になる夢を叶えるのに必死で、友達はともかく、恋愛に時間を割く余裕はなく。夢を叶えた後も仕事が楽しすぎて、結婚はおろか彼氏いない歴=年齢だった。
 だから男を手玉に取るような悪女ではなかったのだが、友人達の間での私のあだ名は『身長が足りないリアル不二子ちゃん』である。

 まあ、つまり、私には勝機が見えているわけで。
 このままついでに胃袋も掌握しとくかと目論んでいる私は、フェローさんがとっくに負けてることなどさっぱり分かっていなかった。
 あと数ヶ月後の夜に答え合わせをされた彼が「満点だよチクショウ!!」と叫ぶことも全く予想していないのだった。

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