そして恋は始まる

『ありがとう、。やっぱりお前は一番の友達だよ』
『……うん。ずっと私は君の友達でいるからね』

 ――涙の跡が残る笑顔で告げた彼がそう答えた瞬間、私の初恋は終わったのだ。

 のそりと決して素早いとは言えない速度で起き上がる。窓の外は真っ暗だ。時計の針を見なくても、まだ真夜中なことはわかる。
 隣のグリムは大の字になりながら、良い夢を見ているだろう寝言を唱えている。今一番見たくなかった悪夢で目覚めた身としては羨ましい限りだ。
 グリムを起こさないようにベッドから離れる。今は再び横になっても素直に眠れる気がしなかった。というかこのまま二度寝したら、変に夢の続きを見てしまいそうで。
 温かいミルクでも飲んで一旦落ち着こう。部屋を出て、廊下を歩きながら計画する。
 この時間帯はゴーストにとっては本領を発揮しそうなものだが、うちのゴーストのおじさん達は寝ているらしい。夜のしじまは私がパタパタとスリッパを鳴らす音と梟らしき鳥の声だけが支配していた。
 修復してもらう前の名前通りのオンボロ寮なら完全にお化け屋敷みたいだと怯えていただろうが、今感じるのは物寂しさだけ。
 ふと窓の外を見れば、綺麗な月が見える。足を止めてじっと眺めたそれは黄色くて一つだけで。異世界でも元の世界と同じ物はある。いっそ全部違ってたら、こんな風に思い出すこともなくて済んだのに。
 気付けば私は彼の名前を口にしていた。元の世界にいた時は殆ど毎日呼んでいたのに、最近はめっきり。だってそうだ、ここに彼はいないのだから。

「……会いたいな」

 帰れる目処は全く立ってない。くわえてこの胸を軋ませる切なさは会えたところで消えてくれなくて、むしろいっそう惨めな気持ちになることだろう。それでも募る郷愁を振り払うように歩みを早めて私は廊下を進んでいった。

 ご近所さんで、母親同士の仲が良くて、幼稚園から一緒。それだけ条件が揃っているのだから、異性とはいえ私と彼が友達になるのはごくごく自然なことだったのだろう。
 同じ小学校に通い始めても私達は仲良しで、低学年の時はよく遊んだものだ。
 次第にからかうクラスメイトも現れたからあまり人前では話さないようにしたけれど、学校に行くタイミングが被って出くわしたら声をかけて、男女混合で出かける時は誘ったし、何より休みの日にお互いの家を行き来したり、成長しても私達の交流は続いていた。
 そのうち自分でも知らない間に、私は彼に淡い恋心を抱くようになって。でも下手にこの心地良い関係を崩したくなくて、尻込みするうちに私は気付いてしまった。この初恋は絶対叶わない事実に。

 中学に入ってしばらく経った頃から彼は荒れ始めた。
 犯罪行為に走ることはなかったが、私含め誰に対しても反抗的な態度を取り、そのうち引きこもるようになった。
 あれだけ優しかった彼の変貌に驚かなかったと言えば嘘になる。でもその原因に心当たりがあった私はこまめに彼とコンタクトを取ろうとして。両手では数え切れないほどの拒絶を撥ねのけた私に彼の方が折れた。
 そして部屋に入れてくれたが、だんまりだった彼に私は容赦なく切り出したのだ。

 彼が思い悩んでいる秘密――彼の恋愛対象が同性であることを。

 私の指摘に彼はひどく動揺して、怯えた顔をしながら『なんで』と呟いた。
 ずっと君を見ていたのだ。気付かないはずがない。でもそんなこと言えるはずがないから『何年一緒にいると思ってるんだ』と言い切った。あくまでも親友というスタンスを崩さないように気を付けながら。
 確信している私の様子に言い逃れできないと悟ったのだろう。『やっぱり気持ち悪いよな』と懺悔にも似た彼の声を間髪入れず否定した。少しばかり変わってるかもしれない、でも君は君だ、私の大切な幼馴染だろうと。
 その宣言に彼は静かに泣きだした。真面目な彼のことだ。誰にも話せないまま、ずっと思い詰めていたんだろう。でもたった一人でも理解者がいた。
 それはきっと彼にとって何よりの救いで――私にとっては地獄の始まりだった。

 しばらくして晴れやかな表情を見せるようになった彼は元の穏やかさを取り戻していった。
 彼のちょっとした逃避は思春期だからそういう時もあるだろうと、さほど問題になることもなく、あっという間に当たり前の中学生の日常へと溶け込んでいく。もちろん私達の関係も変わらず、友情は永遠のままで。

、次、移動教室だぞ」
「えっ……ああ、ごめん。ありがとう、デュース」
「朝からボーッとしてるけど大丈夫か?」

 無意識で始めた考え事をしているうちに、いつの間にか授業が終わっていたらしい。
 声をかけてくれたデュースに『魔法史って眠くなっちゃうんだよね』とごまかす。本当はあの後、二度寝が上手くいかず、ほぼ徹夜してしまい寝不足だった。
 睡眠不足の頭でぼんやり、彼ともこんなやりとりしたなと思い返す。いつもは私が起こす側だったのに。
 懐かしみたいところだけれど、また呆けていてはデュースに不審がられてしまうだろう。根性でテキパキと移動の準備を終わらせる。
 それから実は廊下で待っていてくれてたエースとグリムとも合流して、私達は次の教室へと向かっていった。

 気が付いたら錬金術のペアになっていたり、以前までグリムが座っていた食堂の座席の隣が彼に変わっていたり、さっきみたく声をかけられた時にエース達は離れた場所にいたり。
 そんなことが最近増えた。気がするではなく、確信しているのには理由がある。

、見てくれ! 小テスト60点越えたんだ!」
「おおデュース頑張ってたもんね」
「僕がわかるまでお前が根気強く教えてくれたおかげだ。ありがとな、!」

 そう言ってはにかむデュースの目は喜びにキラキラと輝いている。
 ……喜びだけなら良かったんだけどなあ。熱っぽい視線が気まずくて目を逸らす。
 私に向けるデュースの笑顔は他の人に対するものよりやわらかい。それから話そうが話さずとも距離が近い。次に遠くにいても目が合う。最後に、彼は素直でわかりやすい。
 なのでエースの気遣い含めて、さすがに理解するしかなかった。デュースはおそらく私のことが好きなんだろう、と。
 一瞬、女性に慣れていないはずの彼が、私にはこの気安い態度なので女として意識されていないのだと期待した。でも本人が恋愛感情を自覚していて、恥じらいよりも好きな相手の傍にいたい気持ちが勝っている状態だ、これ。
 なんでわかるかって、自分がかつて同じ立場だったからだ。私の場合、恥じらいじゃなくて失恋確定の空しさだったけども。
 今思えば自傷行為にもほどがある。だけど元の世界に戻れたならば、当然のように再開するんだろう。

 少し話が逸れたが正直な話、たいへん困っている。というか申し訳なさでいっぱいだった。
 私の想い人である彼とデュースはとても雰囲気が似ている。だから私はよく彼とデュースを重ねて見てしまっていた。私のことが好きな人に、違う人の面影を追って恋心を募らせている。それはあまりにも失礼な話だろう。

「お前さ、デュースのこと好きなんじゃないの?」

 彼に似ているから、つい優しくしてしまう。だけどデュースの恋心に向き合わない。好き避けとは違う、ちぐはぐさは見ていて気持ちのいいものではないだろう。特に私とデュース、どちらとも近い立場にいる人からすれば。
 だから、ある日エースから疑問を投げかけられたのは起こるべくして起こったことで。

「好きだよ。友達なんだから」

 暗に探られたくないことを示すべく、無難で無粋な答えを口にする私にエースは顔をしかめる。
 エースは自分のことに関して、よくはぐらかすわりに、人が曖昧に流そうとするのを嫌う。つまり残念ながら私は悪手を決めてしまったらしい。

、お前デュースに好かれてるの気付いてるだろ。お前もデュースをよく見てるし。ただ、お前がアイツに向ける視線って、なーんかしっくりこないというか……デュースと違って湿っぽいんだよね」

 これはたぶん鎌を掛けられている。エースはよく人を見てるけど、私の事情なんてさっぱり知らないんだ。だから、とぼけてしまえばうやむやにできる。
 そうわかっているのに言葉に詰まってしまった。あまりにもハッキリと言語化されてしまったものだから、そこまで気付かれている以上、本当にごまかせるのかと急激に自信がなくなって。
 まあ結局のところ恋愛話だから、エースが途中で放り出すかもしれないし。そんな僅かな希望を抱きながら、観念した私は元の世界の『彼』についてエースに話した。

「とりあえず、それデュースにも話した方がいいんじゃね」

 エースが彼と直接的に関わる機会はまずないとはいえ、彼の秘密はプライベートなことには変わりない。なのでそこだけは、ぼかしつつも洗いざらい白状した結果、まさかのアドバイスが返ってきた。
 なおエースが嫌いなタイプの話題だから、きっと途中で遮られるだろうという私の希望的観測はさっぱり当たらずじまい。最後までご静聴されてしまった……クソ、意外と友情に厚い男め……。

「さすがにこんな酷い話できないよ」
「根本的にお前の考えが間違ってんの。お前が勝手に罪悪感抱いてるだけ。そんなので、アイツが傷つくわけないじゃん。つーかそれ隠してる方がこじれるんだって」
「……私だったら隠しててほしいよ」
「ふーん、お前から伝える気はないんだ。じゃあいいよ、オレから話す。そのかわり、ちゃんと解決したらデュースと一緒に何かおごってよ」

 エースの中ではもうデュースにこの話をするのは決定事項らしい。私に宣言するやいなや、彼は話終わったとばかりに立ち去った。おそらく早速デュースを探しに行ったのだろう。
 エースがこんな賭けじみた取引を持ちかける時は、必ず勝算がある時だけだ。それから自分から面倒ごとを引き受けるのは手間とリターンが見合っている時。
 なので経験上推測するにエースからすれば、デュースへ情報提供することが最良だと見込んだんだろうけど……。
 案外、友人であるデュースの恋路を心配してなのかも。エースは好意を持ってる相手にはわりと面倒見の良いタイプだから。
 と、そんな風に、あまりに予想外の展開が続くものだから中心人物にもかかわらず、どこか他人事のように考えている自分がいた。もうなるようにしかならない。諦めて腹を括ろう。

 エースに心情を明かした次の日、デュースから放課後オンボロ寮で話がしたいと持ちかけられた。
 例の話について聞いた昨日の今日で、既に彼は何かを決心したらしい。覚悟に満ちた目をする彼に私は頷くしかなかった。いつまでも、うじうじと悩む自分にとって、あまりにも眩しい姿だったもので。
 ただ朝礼前に約束したのは間違っていたかもしれない。というのも放課後に控えた彼との話し合いが気になってしまい、全く授業に身が入らなくて。そんな状態もあってか、あっという間に放課後と共にデュースがやってきた。
 正確には連れて帰ってきたというか、一緒に下校してきたんだけども。まさか直行してくるとは思ってもなかったよ。
 おかげでこれっぽっちも心の準備ができていないまま、デュースが談話室のソファに腰掛けてしまっている。戸惑いながらも私も席に着く。

「エースからが話したことは全部教えてもらった。その上で言わせてくれ。僕はお前を諦められない」
「……私、その人のこと、子供の時からずっと好きなんだよ。それなのにデュースと彼を重ねたりしてるんだよ」
「大事だからこそじゃないか? 大切な相手だからこそ、少しでも忘れないように思い返してるんだろ」

 まさか自分の最低の行いを全肯定されるなんて思ってなくて呆然としてしまう。
 ごまかしてる様子はない。強がってる気配もない。デュースは愚かな私を許すどころか、はなから怒りすら覚えていなかった。

「僕はが好きだ。お前の在り方に惹かれた以上、きっと『彼』に恋してるところも含めて好きなんだ」

 デュースの視線は揺らがない。まっすぐ私を見据えて、同じく一直線な言葉をぶつけてくる。

「僕を見てたまに寂しそうな顔をするのも、ふとした瞬間に物思いに耽るのも、『彼』を思い出しているからだと知っても嫌だなんて思わない。ただ、今悲しんでるお前を僕は支えたい」
「デュースはそれでいいの……? 代わりにされて傷つかないの……?」
「別に問題ないぞ。それよりもお前がつらそうにしている方が嫌だ」
「……どんなにデュースが優しくしてくれたって、もし元の世界に帰れることになったら私は迷わず帰るよ」
「僕は諦めが悪いからな。だったら頑張って再会して改めてアタックするさ」

 力強く言いきって「だから遠慮せず僕を頼ってほしい」とデュースは微笑む。
 私はデュースに酷いことを言って、無情な真似を強いてるのに。その晴れやかな表情は曇る気配を全く見せない。ただ握り込んだ拳は異様に力が入っているように思う。デュースもエースのこと言えない意地っ張り加減じゃないか、もう。
 献身が報われる見込みもないというのに、どこまでも彼は私に寄り添ってくれるつもりらしい。

 デュースと『彼』はよく似ている。でも違う部分もたくさんある。
 『彼』と違って友達としても女の子としても私を好きでいてくれるところ。想い人の存在も私の一部として受け止めてくれるところ。誰かを守る為なら優しい嘘もためらわないところ。
 そんなデュースにしかない、彼と異なる部分ばかりを私は好ましく思ってる。だから、今すぐは無理でも。それでもデュースは私の手を掴んでいてくれるから――きっと私が握り返す日は必ず訪れるのだろう。
 今はまだ見えないその時が、なんだかとても恋しかった。

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