ambitchous
「ダメです」
ぴしゃり。ご機嫌取りにキスの一つでも、と近づけた唇は他でもない監督生の手によって遮られた。
せっかくこっちが気遣ってやってるのに。苛立ちながら女の顔を見る。俺の怒りは察しているだろうに、女は平然と微笑みを携えていた。
唇だけで、瞳は一切笑ってない作り笑い。いけ好かないそれはあまりにもアイツがする表情に似ていて、また苛立ちが募った。
だがここで声を荒げてはいけない。アイツを絶望させるには、こんなところで愛想を尽かされるわけにはいかないのだ。なんとか気持ちを落ち着かせて「なんでだよ」と拒んだ理由を改めて確認する。
「……先輩は私のこと、好きじゃないので」
何もかも見透かしたような目の監督生がそう口にする。その通りだ。俺はこんな地味で平凡な女、ちっとも好きじゃない。わかってるならどうして付き合ったのか。
俺はまったくタイプじゃないが学園唯一の女だからか、この女は意外とモテる。
誰でもいいから彼女が欲しいだけの奴が多数だが、中にはガチで惚れてる奴もいて。この女は普段から俺よりよっぽどスペックの高い男にアピールされている。その中には、にっくきアズール・アーシェングロットも含まれていた。
「でも私は先輩のことが好きなんです。両思いになりたいんです……嫌いな相手の好きな人って欲しくなるでしょう?」
ニッコリと笑みを深めながら、監督生は俺に確認してくる。
てっきり気付いていないだけかと思っていたが、どうもこの女はアズールが自分に想いを寄せていることに気付いていたらしい。そして俺がアズールを憎んでいることもわかっている。
だから付き合ったと、なんて女だ。自分の恋を叶える為なら他人の恋心を踏みにじるし、きっかけさえ掴めば惚れさせると断言しやがるなんて。
今までなんでこんな平凡な女が寮長クラスの男に気に入られてるんだと思っていたが、なるほどこの気質なら好まれるわけだ。
ほんの少しだけ理解するが、でも俺はこんな女に惚れるわけがない。両思いになるまではキスもさせないつもりらしいから、性欲処理はできないが……。まあ別に好みじゃないし、それが本題でもない。
せいぜいその惚れた弱みを復讐に利用させてもらおう。お前が拒んだから、もう一生キスできないけど後悔するなよ。
◇
ガキの頃、よくかまってやったグズでノロマなタコ野郎と再会したのは去年のことだ。
同じ寮の一年後輩として入ってきたそいつのことを俺はまったく覚えていなかった。野郎なんて興味ないし、当然だろう。一年生で瞬く間に寮長となったのにはちょっと驚いたけど、タコの人魚なんて珍しい……そう思う程度の存在だった。
だが、アイツは違ったらしい。口車に乗せられて、まんまとユニーク魔法を奪われた俺にアイツは「子供の頃、随分とお世話になったので」と。ウツボ兄弟に押さえつけられていた俺を見下す目は憎悪に満ちていた。
その目に俺は弱っちいくせ、いつも生意気に睨み付けてくるタコのガキのことを思い出したが、だからなんだっていうんだ。そんな昔のことを持ち出されたって知るかよ。ただのお遊びに何ムキになってんだ。
昔はちょっと小突いただけでべそべそ泣いてたくせに、今のアイツは何を言おうと全く怯まない。イソギンチャク解放事件による契約破棄で、ユニーク魔法を取り返しても俺はアイツに敵わなかった。
屈辱にまみれながらも、どうにかアズールの弱味を掴もうと思っていたある日。俺はアイツが監督生に惚れていることに気付いた。
あの女を俺のものにすれば、きっとアイツは絶望するだろう。でも現時点で知り合いでもない俺が告白しても勝率はないにほぼ等しい。
だから学年縦割りの授業の時にペアを組むようにしたり、レオナの頼みでマジフト部の臨時マネージャーとしてやってきた時に手伝ったり。アズールとウツボ兄弟の目に付かないところで、接点を作るようにした。
そんな地道な活動が実を結び、俺と監督生は時折立ち話をするまでの仲になった。監督生は自分から話を振ることはあまりなかったが、俺の話にはちゃんと反応を返すので、会話が盛り上がらず苦痛なんてことはなく。
どれも他愛もない雑談だから殆ど覚えていないが、一つだけはっきり覚えているやりとりがある。監督生の方から「アズール先輩のこと苦手なんですか?」と訊ねられたのだ。アズール達を避けてコミュニケーションを取っていたからだろう。
このニブい女が俺の目的に気付くとは到底思わないが、それでも念に越したことはない。なのでウツボ兄弟が苦手だから、一緒にいるアイツも必然的に避けてしまっていると返した。本心ではないが、嘘でもない。
充分にコミュニケーションは取った。インターンの準備もあるし、そろそろ頃合いだろうと、先日俺は監督生に告白してOKをもらった。
俺の心が監督生にないことがバレていた、というトラブルはあったものの、交際するという目的は果たせたので上々だろう。
監督生と付き合い始めたことはすぐさま学園中に広まった。もちろんアズールの耳にも届き、アイツが監督生に直接確認して真実だとした知った時の顔と言ったら! 思い出しただけで笑いが止まらねえ。
こうして俺は無事に復讐を遂げたわけだが、一つ誤算があった。それは。
◇
「だからダメですってば。それと勉強の邪魔なので、くっつかないでください」
「おいおい彼氏に向かってその言い草は酷くね? 生理中だからってカリカリしすぎ」
「……あなたのそういうデリカシーのないところ、嫌いです」
放課後、中庭のベンチ。そこが俺達の逢瀬の場所だった。
今この場にアズールの奴はいない。それでも彼女が欲しかっただろう野郎共はいる。彼女とのイチャイチャを見せて優越感に浸りたいという気持ち半分、残りは下心のままベンチに座っていた彼女に後ろから抱きつく。
だが素気なくあしらわれる。普段通りのお決まりの流れ。付き合って一月、あれだけあり得ないと思っていたはずなのに俺はすっかり監督生に入れ込んでいた。
けれど監督生は恥ずかしいのか、いつも俺のスキンシップに対してこの調子だ。最初の態度が酷かったせいか、未だ俺達が両思いになった事に彼女は気付いてないらしい。
相変わらず鈍感だ。そんなところも可愛く思えてしまう。
鮫の人魚である俺は血の臭いに敏感だ。この香りは俺にとってはひどく芳しく、心惹かれるものがある。
なのでいつも以上に彼女の傍で堪能したいわけだが、残念ながら陸の人間にとってはこの時期は人を寄せたくないらしい。俺に対応する彼女は明らかに苛立っていた。
単語シートを鞄にしまって彼女が立ち上がる。どうやらオンボロ寮に帰るつもりらしい。
「俺のこと、好きだよな。監督生」
「私はずっと先輩の事が好きですよ」
は人目の付かない場所では一緒にいてくれない。友人達は何度も招いているのに、俺のことはオンボロ寮に入れてくれない。
あまりに冷たい態度に不安になって確認する。こうやって訊ねるのは何度目か、だが彼女の答えは変わらない。その事に少しホッとする。
いつも通りにきっぱり言い切ると彼女は早足で立ち去っていった。
「さん、少しお話よろしい……ちょっ、大丈夫ですか?! いや、そんな真っ青な顔して大丈夫なわけないでしょう! 失礼します。なんですか? 重くないか……って、貴方一人抱えるくらいなんてことないに決まってるでしょう。ともかくすぐオンボロ寮まで連れて行きますから」
◇
「おい、監督生、これどういうことだよ?!」
「どういうことって、文面そのままの意味ですが」
何事もなかったかのよう廊下ですれ違った彼女を捕まえ、スマホの画面を見せつけながら問いただす。液晶に映っているのは今朝、監督生から送られてきた『アズール先輩と付き合うことになったのであなたとは別れます。ありがとうございました』のメッセージだ。
怒り心頭の俺に対して、彼女はどこまでも冷静だった。その落ち着いた様子が更に俺を刺激する。何、当然みたいな顔をしてるんだ。意味わかんねえよ。お前、俺のこと好きだって言ってたじゃねえか!
騒ぎを聞きつけて野次馬達が集まってくる。だが怒りで俺はそれどころじゃなかった。昼休みだから皆、余裕があるのだろう。ただ彼女といつも行動しているハーツラビュルの一年達や魔獣がいないのはせめてもの幸いか。
背筋をピンと伸ばして、彼女は俺の目をまっすぐ見つめる。そうして彼女の口からは耳を疑うような言葉が飛び出した。
「私、最初から言ってたじゃないですか。アズール『先輩』が好きだって」
「……は?」
「アズール先輩、端から見てもわかるぐらい、あなたのこと憎んでましたから。だから奪ってくれるかなって」
そんな回りくどい真似しなくても両思いだったんですけどね。はにかみながら彼女は言う。俺に向けていたあの嘘くさい笑みではなく、幼さを感じる自然な笑顔だった。
なんだよ、なんだよ、それ。理解したくない、でもわかってしまう。衆人観衆で自分が当て馬でしかなかったのだと思い知らされて惨め極まりない。
プライドをズタズタにされて、相手が女の子だということも忘れて監督生の胸ぐらを掴もうとしたその時、腕を後ろ手に捻り上げられた。
骨が軋むほどの拘束にたまらず悲鳴を上げる。鮫をも押さえつける怪力なんて限られている。俺の後ろに向けて、彼女が瞳を輝かせているのが何よりの証拠。
「不調の女性を労らない上、手を挙げるなんて……雄の風上にも置けませんね。さん、大丈夫ですか?」
「はい。ありがとうございます。あっ、もうこんな時間! 早く食堂行きましょ、アズール先輩! お昼休み終わっちゃいますよ!」
もう抵抗する気力もないと判断されたのだろう。雑に床に転がされる。そこからは一瞥もされなかった。
彼女とアイツが立ち去ったのを機に、興味を失った野次馬達も散っていく。無様に這いつくばる俺に差し伸べられる手はない。ズタズタに切り刻まれた俺は、かつて追いやった弱虫タコのように這い上がることはできそうもなかった。