つごうのいいくすり
「……あれ?」
ぱち、と瞼を開ける。まるで朝目覚めた時のような感覚だったが、それだと私は立ったまま眠っていたことになってしまう。それも授業中に。
さっきまで私は錬金術の授業を受けていたはずだ。なのに今の私は制服と白衣ではなく、品の良いワンピースの上にエプロンを身につけていた。ついでに場所も実験室ではなく知らない部屋へと変わっていた。
革張りのソファー、大理石のテーブル、アンティーク風のランプ……部屋の家具はシックな風合いで固められており、壁の一面がガラス張りとなっていた。ガラスの向こう側には見渡す限りの珊瑚の群集が広がっていて、それにより此処が海の中に建てられた家屋なのだと知る。一瞬どこかのお店かと思ったが、キッチンもクローゼットも見える場所にあって生活感が拭えない。
この部屋には来たことも見たこともないはずなのに、なんとなく既視感があるのはモストロ・ラウンジの内装に似ているからなのだろう。
ただ、そんなことよりも。
「まま……」
私の視線は足下へと釘付けになっていた。正確には大きなおめめに涙をいっぱい溜めてぐずつく、ちっちゃくてまんまるなドチャクソかわいいタコちゃんに。
ふわふわの銀髪と透明感ある水色の瞳を持ったその子は、以前アトランティカ記念博物館の写真で見たアズール先輩にそっくりで。あれよりもだいぶ幼い……というかズバリ赤ちゃんだが十分アズール先輩の面影は見えた。
触手では歩きづらいのか、よたよたとした足取りで近づいてきた子ダコちゃんはぷっくりとした手を一生懸命こちらへと伸ばしてくる。
そのあまりの可愛さに放心していたが、だっこと舌足らずにねだられて私は秒で抱き上げた。もし赤ちゃん抱っこスピードギネスがあったらレコード更新してたと思う。
人肌が落ち着くのか、ぺたりと私の胸に身を預けてくる様子にきゅんと母性がくすぐられる。いや鷲掴みだった。
なんだこのかわいい生き物。誰だこんなキュートな種族にデビルフィッシュとか名付けたの。この可愛さの前にはタコがサメを捕食する事実など些細なことのように思えた。
「寂しかったのかな? でも、もう大丈夫だからね」
親戚の子の面倒をしょっちゅう見せられていたことを今ほど感謝したことはない。あの日々を思い出しながら、ちびアズール先輩の背中を優しくぽんぽんしながらあやしつける。
あやす手のリズムは一定を保ちながら、私は別件について思考を働かせていた。ちびアズール先輩のかわいさに、ついぶっとんでいたが、題目はこの楽園のような現状についてだ。
といっても考察するまでもない。ズバリ都合の良い夢である。断言するだけの根拠を私は持ち合わせていた。
私の記憶は近くで作業していたエースが誤って薬をぶっかけてきたところで途切れている。そして今日作っていた薬は望んだ夢を見られる『夢見薬』だった。この二つから導き出される答えは……もう言わずともおわかり頂けるだろう。
あの写真を見た時から、私は一度でいいから生でちびアズール先輩を見たいと思っていたし、あわよくば可愛がりたいと思っていた。だがいくら恋人になったとはいえ、元の姿を嫌ってるアズール先輩に見せてくれと頼むのも気が引けて隠していたのだ。
あの都合の良い薬はそんな潜めていた欲望を夢という形で具現化してくれたのだろう。思っていたよりちびアズール先輩が幼いのは謎だが……かわいいから全部オッケー!
どうせ夢なら気が済むまで堪能しなければ。親愛を込めて、ちびアズール先輩の額へ唇を落とす。続けて瞼、頬にもそっと口付ける。それのお返しとばかりに、ちびアズール先輩はそのやわらかなほっぺを私の顔へすり寄せてくる。ひゃーふわふわ!大きな先輩の肌もきめ細やかだが、やっぱり赤ちゃんの肌はすべすべ感が違う。
胸の感触がお気に召したのか、ちびアズール先輩はぺちょと頭を私の胸へと埋めてくる。夢の中だからか、元のサイズと比べて2カップぐらい胸が大きくなっていたので枕にちょうど良さそうだ。
そこまでやれとは言ってないが、元のままだと寝心地が悪いだろうから感謝すべきなんだろう。別にちょっと空しさを覚えたりしてないんだからね!
胸へすりすりしてくる姿にやっぱりこの子はアズール先輩なのだなと実感する。大きなアズール先輩もたまーに癇癪を起こすと私の胸へと縋ってくるのだ。甘え方が完全に一致している。
きっかけは恋人になってはじめてアズール先輩がやだやだモードになった時、私が小さい子みたく彼の頭を胸に抱えたからなのだけども。
初回の時はそれで速攻泣き止んだ(代わりに茹で蛸みたいになってた)が、すっかり当たり前になってしまった今ではプラスよしよしと撫でて目一杯褒めてあげないといけない。手間はかかるがそこは惚れた弱みというか別に苦には思っていない。むしろ頼られて嬉しい。
「あれ、おねむなのかな?」
あやす一環として軽く体を揺らしていたからだろう、ちびアズール先輩はこくりこくりと眠たげにしていて。彼へ衝撃がいかないよう、気をつけながらソファーへと腰掛ける。続けて背中をさすりながら小さく子守歌を口にする。
こっちの曲はわからないので、元いた世界の子守歌になってしまったが、ちゃんと効果は出てくれた。小さな手でしっかり私にしがみつきながら腕の中の彼は寝息を立て始める。
子守は慣れているとは言えど、わりと久しぶりだからちょっと心配だった。無事に寝かしつけられて本当に良かった。
それにしてもこの夢はいつになったら覚めるんだろうか。もう少しこのかわいい寝顔を堪能したいから別にいいっちゃいいんだけど……。
ちびアズール先輩の体温のせいか、だんだん私も眠くなってきた。眠気に支配され、ぼーっとしていた中、意識の端でドアノブが回る音が聞こえた。なんだなんだと俯き気味だった顔を上げて、私は仰天した。
「さん、ただいま戻りました」
「えっ、アズール先輩……?」
ドアを開けて登場したのは大きなアズール先輩だった。腕の中を確認するが、しっかり私はちびアズール先輩を抱いている。
な、なんでアズール先輩分裂してるの?? ハッ……夢には深層心理が出るって言うし、もしかして私はアズール先輩で逆ハーレム作る願望があったとか……? やだ、アズール先輩大小パックとか私ってば欲張りすぎ……?
「どうしたんですか、懐かしい呼び方をして」
帽子とコートをドア横のコートツリーに掛けると、アズール先輩(大)は長いおみ足で、あっという間に私の元までやってきた。優雅に隣へと腰掛けて、腕の中のちびアズール先輩を覗き込む。とろりと彼の水色が蜂蜜のように蕩けた。
よくよく見ると今、私の隣に座るアズール先輩(大)は私の知っているアズール先輩と微妙に違っていた。
まず記憶の彼よりも雰囲気が落ち着いている、他にも彼が纏っているスーツはオクタヴィネルの寮服と似てはいるが若干デザインが異なっていて。
また近くに来られて実感したが、顔つきやら声に色気が増している。それから髪型も襟足を刈り上げていたはずが、後ろで纏めるほどに伸びていた。
案外違いがあったなあ、でも別人だとは思わない。代わりに大人になったアズール先輩はこんな感じなのかなーと。もしそうなら私の想像力豊か過ぎると思う。うん、褒めて使わす。
「僕達の息子は今日もかわいいですね」
考え事をしながら、まじまじとアズール先輩(大)を観察していたせいで、私は彼のその言葉を噛み砕くのに時間がかかった。息子、息子かあ……息子?!
僕達ということは私が産んだのだろう、アズール先輩はタツノオトシゴじゃないのだから。いつの間に?! 私達まだめちゃくちゃ健全なお付き合いしかしてないのに?!
衝撃の事実を突きつけられてひっくり返りそうになったが、よくよく考えたらこれは夢だ。そのことを思い出せたおかげで少し冷静になれた。ただし自分の妄想癖がやべえ事実は見ないふりをする。
日本人お得意の愛想笑いを何とか浮かべて、私はアズール先輩(大)へと向き合う。落ち着け、落ち着いて。
「次はあなたに似た女の子が欲しいです」
あ、だめだ。目尻を赤くして微笑む彼に一瞬で敗北を悟る。子供に向けていたのとはまた違う、とろけた眼差しに何も言えなくなる。
記憶よりも大きく骨張った手が私のお腹を撫でる。実感はない、けど慈しむような手付きが平たい腹の中の存在を訴えてくる。
予想外の情報量に混乱する中、彼の左の薬指に光る銀色に目を奪われる。よくよく見れば私の手にも同じ輝きがはめられていて。気付いた瞬間、ぎゅわんぎゅわんと心臓が変な跳ね方をした。
額に瞼に頬に、さっき私が小さなアズール先輩におこなったのと同じ手順で口付けられる。唇の熱と彼から香るコロンに頭がくらくらする。子供達の前なのに、そう思ってるくせに抵抗できない。そしてとうとう瞼を閉じたアズール先輩の顔が近づいて——
「なので覚悟しておいてくださいね、小さなさん」
◇
「あれ、ここは……」
今度の目覚めは見覚えのある天井だった。学園の保健室だ、着替えに借りたりするのでよく知っている。
良かった、ちゃんと戻ってこれた。ちょっと惜しかった気もするけど、あの色気は殺されかねないから、これで良かったんだろう。というか最後になにか意味深な事を言ってたような……。
「良かった……! 目が覚めたんですね」
「ひえっ」
「どこか気分が悪いところはありませんか?」
「あ、アズール先輩……」
起き上がった瞬間、すかさずアズール先輩に手を取られた。気付いていなかったが、すぐ傍に待機していたらしい。
あんな夢を見た直後なので彼の顔が見れない。思わず見やった時計は放課後であることを示していた。午後からの授業だったとはいえ、随分私は長く眠っていたらしい。
今日は確かモストロ・ラウンジ休みじゃないはずなのに、どうしてアズール先輩ここにいるんだろう。疑問に感じたのは、ほんの短い間だった。憔悴しているアズール先輩を見たら何となくわかってしまったのだ。
たぶんリーチ先輩に使い物にならないからと追い出されたのだろう。癇癪を起こして私が駆り出されてVIPルームへ隔離される時のように。それが気遣いなのか本心なのかはわからないけど、一応前者だということにしておこう。
なんかアズール先輩、今にも泣き出しそうなんだけど……よしよしした方がいいのかな。いやそういう空気じゃないな、さすがに。ひとまず安心させてあげないと。
「寝過ぎたからか、ちょっとだるいですけど……大丈夫ですよ」
「そうですか……」
ほっとした様子を見せた彼に私も息を吐く。一安心したところで、アズール先輩が今回の件について説明してくれる流れとなった。
事故とは言え、私に薬をぶっかけてしまったエースはクルーウェル先生から、それはそれはキッツイお仕置きを食らってるらしい。
アズール先輩いわく僕は『まだ』何もしていませんとのこと。告げる先輩はニッコリ笑っていたが目が笑ってない。うーん……めっちゃ怒ってるな、これ。できるだけ止められるよう善処はするけど……エース、君のことは忘れない!
そして薬の件だが、魔力が無いせいで一際強い効能が出てしまっていたらしい。一応命に別状はないらしいが、場合によっては精神に大きなダメージを食らっていたかもしれないと。だからアズール先輩あんなに弱っていたのか。
むしろすごくいい夢見たんだけどなあ。ちょっと願望丸出しで恥ずかしいけど、安心させるためにもここは話しておこうかな。
「さっきまで見ていた夢なんですけど、私アズール先輩のお嫁さんになってました」
「……え?」
「ただでさえかっこいいアズール先輩に、大人の魅力が加わったおかげで更に素敵になってて惚れ直しましたね。それからアズール先輩そっくりの男の子の赤ちゃんがいて、もうその子がとにかく可愛くて。あとすごく仲の良い夫婦なのかな、おなかの中にも赤ちゃんがいたみたいなんです。夢の中のアズール先輩は私に似た女の子が良いって言ってましたけど、私は女の子でもアズール先輩に似てほしいなあ、なんて…………アズール先輩?」
ついつい勢い余って語りすぎてしまった。引かれたかもと恐る恐る様子を窺ったアズール先輩はかつてないほど真っ赤になってぷるぷる震えていた。茹で蛸もびっくりの赤さである。
何事かと硬直する私にアズール先輩は両手で顔を隠しながら、蚊の鳴くような声で呟く。
「夢見薬は効能を強めると未来視の薬になるんです、正確には数年後の自分の意識を一時的に借りることになります」
つまり、つまるところ、あの都合の良い夢は。
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