泣きっ面にヴィランズ

 春、それは虫がハチャメチャし始める季節。そしてオンボロ寮は名に違わずボロボロで、どこもかしこも穴だらけ。マブが協力してくれて直したり、学園長へ掛け合って設置された防犯魔法のおかげで人や獣は弾いていたが、板の接合部の隙間から入れるような生き物の不法侵入は防げなかった。
 ただ今までは食い応えのないゴーストしかいなかった為、吸血虫にとっては見所のない場所だったのだけれど。……あとは言わなくてもわかるだろう。
 新たな住民が増え、冬が終わったこの時期の夜のオンボロ寮は私達にとっては地獄で、吸血虫にとっては格好の餌場なのである。

「あ゛〜〜! ちょこまかと……!!」

 パアン、と寝室に何度目かわからない破裂音が響く。私の地団駄で床板がマズイ軋み方をしているがキレずにはいられなかった。
 殆どはジャミル先輩がVDC後に(合宿の最中、何度も虫を処理したお礼に)渡してくれたお香によって息絶えたが、一匹だけしぶといヤツがいる。ご覧の通りヤツとの長きにわたる戦況は思わしくない。
 さっき自分の腕に叩き付けた掌は肌を赤くしただけで何の成果も得られなかった。新たな苦痛と引き換えにしっかりと狙いを定めたはず、だがどうやら叩き潰す寸前に逃げられたようだ。
 まんまと仕留め損ねた私を嘲笑うみたいにブーンと耳元で羽音を立てられ、苛立ちが募る。先程の腕以外にも多数の被害にあっている私は、それぞれの噛み跡から来る不快感にいっそう機嫌を悪くしていた。もはや例の羽虫に向ける感情は怒りを通り越して殺意へと変わっている。
 おそらくヤツは私の血を山ほど吸っているのだ。パンパンに膨れ上がった腹では最初ほど機敏には動けないはず。次こそは絶対にぶちのめしてやる……!と意気込んでいたならば、軽快に飛び上がったグリムが両方の前足を合わせる。

「……ッ見ろ、子分! やっつけたんだゾ!」

 パッと開いた足をグリムが私へと見せつけてくる。彼の肉球は私の血で赤く染まり、ぺったんこになったターゲットの死骸が張り付いていた。普段ならあまり見たくない光景だが、今は別。これまでの苦難が報われた証拠にスーッと気分が晴れやかになっていく。

「さすが親分!」
「フフン、もっと褒めてもいいんだゾ」
「ありがとう! カッコイイよ、グリム! 明日は奮発してプレミアムツナ缶あげちゃう」
「本当か?! にゃっはー!」

 傍にあったティッシュで彼の肉球をキレイにしながら、グリムを労る。本当によくやってくれた。
 あいにく大きな犠牲は払ったが、これでようやく眠れる。一息ついたところで、グリムと共にいそいそとベッドへと潜り込んだ。あれだけ奮闘したのだ、疲れたのだろう。すぐさまグリムの寝息が聞こえてくる。
 だが私は眠れなかった。刺されたところが痛がゆい!! さっきは頭に血が上っていたから気付かなかったが、一度意識したらもうダメだった。
 寝入ってるグリムを起こさないように気を付けながら私は台所へと向かう。蚊のかゆみは冷やせば治る。だから冷凍庫から取り出した保冷剤を患部に当ててみるが、どうやらあの虫が使った成分はまた違うらしい。じゃあ逆に温めてみればと挑戦してみたがそれも効果無し。
 薬を用意しようにもこんな時間じゃサムさんの店は開いてないだろう。だから何か代わりにならないかと塩を塗り込んでみたり、爪でバッテンを刻んだりしてみたり、色々やったがどれも上手くいかず。
 結局、外が明るくなり始めた頃にやっと眠気が勝って、ほぼ気絶のような形で私はベッドへ倒れ込んだのだった。

「くそう……」

 悪態を吐きながら寝不足の体に鞭打って校舎までの道のりを歩く。眠気と疲労で足取りはフラフラと心許ない。だが虫刺されなんて理由で学校を休むわけにはいかないだろう。
 隠せないほどに弱っていたからか、私の隣を歩くグリムは心配そうにこちらを見上げている。彼を安心させようと何とか笑顔を作った。

「グリム、私この調子だし、先行ってていいよ」
「子分の面倒を見るのも親分の仕事なんだゾ」

 私の提案はきっぱりと切り捨てられる。昔はともかく、すっかり親分としての責任感に目覚めた彼は私を置いていけないらしい。彼の成長を喜ぶと同時、申し訳ない気持ちになった。
 オンボロ寮から校舎はそんなに離れていないはずだが、今日は随分と遠い気がする。まあ私の歩みがのろのろしているだけなんだけど。
 纏わり付く倦怠感に逆らって無理矢理足を動かしていたのが悪かったのか。突然、足がもつれて躓く。

、大丈夫か?」
「あ、ありがと。デュース」

 だが地面にぶつかる前に私の体は駆けつけたデュースに抱えられていた。あ、危ない危ない。その後ろで佇むエースは「朝から慌ただしーね、お前。おはよ」と何でもないように声をかけてくるが、デュースと同じく心配そうに私を見ている。
 以前、登校中に待ち伏せして嫌がらせしてくる輩がいた為、それ以来彼らはわざわざこの道まで私とグリムを迎えに来てくれるようになっていた。おかげで朝っぱらから地面とキッスせずに済んだことにホッと一息吐く。
 ……なんかまたかゆくなってきたな。眠ったことで治まったのかと思ったがそんな都合の良いことはなかったらしい。この足取りならいつもより早めに寮を出た方がいいかなとその通りにしたおかげでまだ時間に余裕がある。
 今の時間帯なら保健室も開いてるよね。体調不良となると購買より保健室の方がいいかな、急いで保健室に行って薬をもらってこようっと。
 なのでグリムと彼らへ先に行っててくれと言おうとしたその時だった。

、首筋の赤いの、どうしたんだ?」

 だんだん痛みが出てきたことで勝手に涙が滲む中、デュースにそれを指摘される。さっきまで別の所が痛がゆかったはずなのに、なんで意識したらこっちの方の症状が強くなるのか。別の刺激でちょっとはマシにならないかなー、そんな期待を込めて手のひら全体でその跡を叩く。
 瞬間、デュースの顔が強ばった。どうしたんだろうか、そう思う私にエースは「……誰にやられたわけ?」とたずねてくる。その声は普段よりも随分と固い。
 なお、彼らの変化が私がまるで慌てて跡を隠したかのように見えていたから、だなんて現時点で私はまったく気付いていなかった。

「えーっと……」
「昨晩入ってきたやつにやられたんだゾ!」

 虫刺されと普通に返せば良かった。でもなんだか、ただならぬ雰囲気に言葉を詰まらせていれば、グリムが助け船を出してくれる。
 これで一件落着かと思えば、二人して「あ゛?」と低い声で唸った。しかも何故かデュースは元ヤン丸出しの表情を見せ、エースに至ってはスンと一瞬で表情をそぎ落として無の顔となる。
 なんで? 理解の範疇から外れた反応についびびってしまう。美形の怒った顔と無表情怖すぎない? 泣いてもいい?

「そ、そのせいで痛くて(かゆいのが一晩中続いて)寝不足なんだよね。それで今から薬もらおうと思ってるから」

 先に校舎に行っててほしい。怯えながらも声を絞り出し、二人に登校を促す。だが私のお願いは聞き入れられなかった。近づいてきたエースが無表情のまま、私の両肩を掴む。ねえそれどういう感情?

「昨日のうちに薬使ってねーの?」
「えっ、う、うん。夜遅かったから(虫刺されの薬を手に入れようにも)保健室も購買も開いてなかったし、そもそも対処法がわからなくて……」

 エースと会話しながら、そういえば治療するにあたって昨日の死骸、写真に撮っておけば良かったなあと思う。あんまり特徴の無い虫だったし、口頭で伝わるだろうか。
 と考え事をしていたせいで、二人の様子の変化にまたもや私は気付いていなかった。
 これは後々知ったことだが、日本よりも性教育が行き届いているこちらの世界の二人(勘違い中)は例の薬ひにんやくは早く飲ませた方が効果的だから一刻も早く保健室へ連れて行きたい気持ちと、私に狼藉を働いた犯人を殺……やっつけたい気持ちがせめぎ合っていたらしい。物騒!

「ただ昨日のうちにグリムがやっつけてくれたし、そういうことでもう大丈夫だから」
「大丈夫なわけないだろう!」
「えええ」

 痛がゆさと、訳のわからない恐怖と、色々な要素が混ざってもう私は発言がおかしいというか雑だなと自分でも感じていたが、そこに気を回せる余裕が今は無い。
 なのでそそくさと立ち去ろうとする私にデュースが声を張り上げる。何故虫刺されでこんな深刻な顔をされてるの?
 もしかして早く治療しないとやべえタイプの毒虫だったとか……? だったらなおさら早く保健室に行きたいんだけど。

「デュース。本当に大丈夫だから、ね?」
「男に襲われて大丈夫なわけないだろう?!」
「えっ、あれオスなの?」
「男に決まってるでしょ。ここ男子校だし、外部からは基本入れないんだからさ」

 私の疑問にエースが答える。あの蚊モドキはオスでも吸血するのか、ってか虫ですらメスが入ってこれないようにされてるの?! いやでもフェアリーガラで入ってきた妖精はメスもいたよね。うん、いた。女王って言ってるやん。
 なんだろう、なんか話が噛み合っていないような。ようやく薄々状況に気付き始めた私だったが、次のデュースの言葉に更にカオスな方向へと進むことになる。

が好きだから、お前を酷い目に合わせた男が許せないんだ!!」
「あ、ありがとう?」
「デュース、抜け駆けすんなよ。オレものことが好きなんだけど」
「えーっと私も二人ともが大好きだよ」

 なんだかんだ保健室へ連れていかれていないところからして毒虫の線は消えつつある、だからこそ思う。虫さされごときで大げさすぎでは? そして突然なんで二人揃ってマブアピールしてきたんだ。

「グリム、それでやっつけた後の犯人は今どこにいるんだ」
が俺様の手に付いたの拭いた後にゴミ箱に捨てたんだゾ」
「……ん?」

 デュースの質問にグリムが答え、その回答にエースが首を傾げる。私はもう疑問符しか浮ばない現状に頭が追いつかず、思考停止状態になっていた。
 確認なんだけど、と口にしながらエースが手を上げる。

、首のそれ……もしかして虫刺されだったりする?」
「そうだけど」

 今更何を聞いてるんだ。痛がゆいのもあって限界だった私は端的に返答する。
 間髪おかず、ちゃんとそう言えよ!とエースがキレて。置いてけぼりになったデュースとグリムはポカンとしていた。

「二人揃ってなんて勘違いをしてるのさ……」

 ところ変わってオンボロ寮。朝はあの件でドタバタしていたが、こうして放課後に時折やっている勉強会ではちゃんとした会話ができるまでに落ち着いていた。
 なので私は改めて今朝のことについて確認していた。グリムは勉強を嫌がって逃げ出してしまったが、二人の部活が休みでよかった。
 二人とも頑なに答えようとしなかったが、その態度にもしかしてエッチな話なのでは……?と見当を付けてデュースにカマをかけたらビンゴ。エースはだんまりのままだったが、デュースは早々に白状してくれた。

「しょーがないじゃん、あんな紛らわしい言い方されたらさ」
「それにしても僕らの勘違いで本当によかった……」

 むくれるエース。ホッとした顔を見せるデュース。これで一件落着かと思いきや、ふとエースが何かを思いだしたかのような反応を見せる。それから悪い顔をして、彼はツンとシャーペンの頭で私の唇を押した。

「返事は?」
「……なんの?」
「オレ、お前に告白したじゃん」

 こくはく。え、あれはマブ的な好意で……えっ?
 大混乱再び。脳みそがオーバーヒートして硬直する私の手にデュースの大きな掌が重なった。更なるカオスの予感に涙目になる。もう既に頭パンクしてるので勘弁してくれ。

「僕も告白したぞ!」
「ってわけなんだけど、どっちにする?」

 だが祈りは空しく、デュースも便乗して声を張り上げる。両方お断りの選択肢を除外したエースが、ツツツと私の肌の上にシャーペンを滑らせる。その軌道は首筋に付けられた跡で動きを止めた。
 その跡を指し示すかのよう、くっとシャーペンが軽く首筋に押し込まれて。

「なーんて、さすがに意地悪すぎたかもね」

 その台詞に希望を持ったのは一瞬。何故なら彼らがとんでもなく悪い顔で笑っていたから。

「どっちかなんて選べないだろうし」
「ああ、なんたっては僕達が大好きなんだからな」
「そうそう。まあ変な虫に取られるぐらいなら、デュースと一緒の方がいいかな」

 よくねえ。昨晩に引き続き、私は獲物になってしまったと知ったところで、もう手遅れ。その至極まっとうなはずの訴えは彼らの唇に閉じ込められ、私は悪い虫達ヴィランズに美味しくいただかれてしまうのだった。

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